はじめに
第1集『君の枕:TU ALMOHADA』のLP/CDに収録されている全12曲は前述のとおり、当初からこのアルバム用として同時にレコーディングされたものではなく、それぞれ単独録音され、SP、EP、カセットテープ用として別々に発売されたものです。したがって、1曲目【君の枕】も含めて、全曲がアルバム発売日よりかなり前に録音されていたことになります。シリーズ第2集目以降のほとんどの収録曲も、オリジナル録音日とアルバムの発売日との間に隔たりがあるはずです。しかし第2集目以降、どの曲がアルバム用として新たにレコーディングされたのかなどの詳細は「アンソーニア社」でもつかめませんでした。CDには、第1集、第2集の製作場所が二ューヨークの「べルトーン・スタジオ(Beltone Studios)」で、プロデュースしたのは「アンソー二ア社」のラファエール・ぺレス氏であると明記されています。気になるのは、プロデューサーとしてのぺレス氏の役割です。彼がダビングとかミキシングなど技術的な面を専門的に行ったことは前述のとおりですが、音楽そのものの分野、例えば選曲の決定とか曲順などに、どの程度関与したのかがはっきりしません。現社長の “タティ” グラースさんやマエストロ・シャローンから直接聞いた話から推測して、ぺレス氏は総合プロデューサー的な役割を担い、そのほかのことはフリート・ロドリーゲスとの共同作業で決めたようです。それでも各々の意見がどこの、どの部分に強く反映されているかは、今となっては分かりません。
(Ⅰ)第1集(VolumeⅠ)「君の枕:Tu Almohada」
LP : SALP1259 CD : ANSCD1259
12曲中、フリート・ロドリーゲスの作品が7曲、そのうちの6曲は純粋なボレーロで、1曲だけバルスになっています。彼の作品レパートリーの一方の柱である「ヒーバロ歌謡」は全く入っていません。しかも7曲中6曲は、総て書き下ろしかどうかは別にして(これに関しては後段で述べます)、このアルバムで初めて世に出たものです。これは何を意味するのでしょうか? LPの売上を最優先に考えれば、ほかの作家のポピューラーなスタンダード曲を中心にカバーする方が ‘無難’ のはずです。しかし、恐らく彼は自分の作品、特にボレーロには強い自信があったのでしょう。そう考えれば、当時も今もメキシコなどのグローバルな音楽市場では、所詮マイナーなジャンルであるプエルト・リコのヒーバロ歌謡を選曲しなかったことは納得できます。ただしメキシコやドミ二カの曲はしっかりと入っています。それと、このアルバムの特徴として、フリートの作品を含めて収録曲が総じて当時としてはさほどポピュラーな曲ではなかったことです。いずれにしても、このアルバムを作るに際し、「アンソー二ア社」のラファエール・ぺレス氏が大きな賭けをしたことに間違いはないでしょう。幸い狙いは見事的中、大ヒットを飛ばしました。その結果、後の4枚のアルバムの発売につながったのは、ラファエール・ぺレス氏の実力の賜物だと思います。
1.【君の枕:Tu Almohada】「ボレーロ」
記念すべき《フリート・ロドリーゲス・トリオ(A)》の初アルバムの1曲目は、まさしく「フリート・ボレーロ」(第2章(Ⅴ)のB独創性)の代表作です。『カリブのラテントリオ』(230頁)に載っている歌詞も典型的なフリート作品になっています。すなわち、(1) ‘君(女性)’ を ‘あなた(男性)’ に置き換えれば主人公が女性でも十分意味が通じること、(2)’愛、恋’ とか ‘君を愛している’ のような、ラブソングで使われる決まり文句は登場せず、表現が具体的であること、(3)それでいて、歌詞全体の意味がミステリアスなこと、などです。フリート・ロドリーゲスの作品のほとんどに、上記(1)~(3)があてはまることは既述しました。ところで、数あるフリート・ロドリーゲスの新曲の中で、【君の枕】が1曲目に選ばれた経緯には興味深いものがあります。 勿論【君の枕】は既にSP、EP、カセットテープで発売され、好評を博していました。しかしそればかりでなく、フリート自身が自作【君の枕】への特別な想いを抱いていたからではないでしょうか。
2.【我が運命:Mi Destino】「バルス」
このバルス・ぺルアーノ風の曲の作者名は記されておらず、「D.R.」すなわち「著作権留保(Derecho Reservado)」ということになっています。しかし、蒐集家三大寺義尹氏のご尽力により、この曲の原曲名は【運命:Destino】で、作詞ホワーン・シスト・プリエート(Juan Sixto Prieto)、作曲ラウレーノ・マルティーネス・スマート(Laureano Martínez Smart)の、れっきとしたバルス・ペルアーノであることが分かりました。フリートが何処で、どのようにして出会ったのか、なぜ曲名を変えたのかは不明ですが、本アルバムの2曲目に登場するだけあって素晴らしい作品です。曲想と歌詞は、まさに(Ⅳ)作曲家フリート・ロドリーゲスの作品と作風A「愛/恋の歌」と「愛国/ふるさと歌謡」で紹介したサンターナ女史の言葉、「プエルト・リコに限らずラテンアメリカのポピュラー歌謡の歌詞には・・・・」の記述にピッタリ当てはまります。ただし、メキシコ、プエルト・リコ、コロンビアはもとより、バルス・ぺルアーノの本場ペルーやエクアドールでも、私はトリオが演奏するこの曲を聴いたことがありません。
Siempre soñar poner la fe en el azar
empeño en no querer creer
con la ilusión del puede ser,
y al fin sin juventud la vida queda
trunca perdida en su inquietud.
僕はいつも流れのままに生き
これといった信念もなく
すべてうまく行くと錯覚していた
そのあげくに不安におびえ
無気力な人生を送っていた
Sintiendo así mi eterna fe te conocí.
Y en tus caricias ví humillar mi paraíso terrenal
y todo para que te vas su amor que
nunca en mi vivir tendré.
君と知り合ったのはそんなとき
君の情熱が僕の幻覚をぬぐいさり
僕には一生縁がなさそうだった
愛の心を与えてくれた
Lentamente tu voz me deje el adiós
con tal impresión más de agradezco
el favor por tantas dichas idas.
Muchas gracias de amor
ya no tengo más en el corazón,
o quien importa dolor de mis heridas.
でもその感謝の気持ちもつかの間
だんだんと君の離別の声が
僕には聞こえる
愛の心はありがたい
でも、もう僕にはそれがない
もう僕の痛みなど、どうでも良い
Porque el reloj de la felicidad en su ruta de vivir
no marcó la realidad de mi esperanza
con los fracasos de una y otra vez
siempre triste porvenir,
solo mi destino es pensar en ti.
君の心が刻む幸せの時計の針は僕の本当の望みを指さなった
これまで何度も打ちひしがれ
未来を失ってきた僕の定めは
ただ君を想うことだけ
3.【夜明けだ!:Amanece】「ラメント・ヒーバロ(Lamento Jíbaro)」
原曲名【荷車曳き:Los Carreteros】のこの歌は、プエルト・リコ歌謡の父ラファエール・エルナーンデスの代表的な「ヒーバロ歌謡」です。グワラーチャ風のアップテンポなボレーロで始まり、最後は ♪アイ、レロ、ライ♪の呼び声と共にヒーバロリズムでエンディングを迎えます。LP/CDにはジャンルを「ラメント・ヒーバロ(Lamento Jíbaro):ヒーバロ哀歌」と表示しています。私たちはこの曲で、初めてプエルト・リコの「愛国/ふるさと歌謡」に出会い、早朝の清々しい空気の中で牛馬を操り、荷車を曳きながら、山道を往き交う農民「ヒーバロ」の哀愁に満ちた歌声を聴くことができるのです。
フリートが、1曲目のボレーロ、2曲目のバルスの次に、この曲を選んだ意図は十分に伝わってきます。この曲を演奏している歌手/グループは数多くいますが、このアルバムのこの演奏を超えるものはありません。レキントのラファエール・シャローンは、自ら1980年代に結成したトリオ《ボセス・デ・プエルト・リコ》(『カリブのラテントリオ』366頁)で同曲をレパートリーに入れています。ちなみにカリブの世界にはこの曲も含め、同じ「荷車曳き:カレテーロ(Carretero)」をモチーフにした、3大歌謡とも呼ぶべき有名な歌がほかにもに二つあります。それは、プエルト・リコのクラーウディオ・フェレール作の【山彦と荷車曳き(El Eco Y Carretero)「グワヒーラ」】と、キューバの作曲家で、【町へ行こう(Me Voy Pa’l Pueblo)】を作曲したマルセリーノ・ゲーラ(Marcelino Guerra)の【荷車曳きのコーヒー(Café Carretero)「グワヒーラ・ソン」】です。前者はこの5枚組アルバムの(Ⅲ)第3集4.に収められ、後者はフリートが1954年《ロス・パンチョス》時代にレコーディングしています。
注目すべきは、曲名の【夜明けだ!】です。さきほど、この歌の原曲名は【荷車曳き】と紹介しました。問題はフリートがなぜ恩師エルナーンデスの代表作のタイトルをわざわざ変えたかです。しかも、フリートは第2章(Ⅱ)B《トリオ・ロス・パンチョス》eフリート・ロドリーゲスの退団で記述のとおり、自作の【ウン・ミヌート】を《ロス・パンチョス》のアルフレード・ヒルによって【ウン・モメーント】と改題されています。彼は自作の曲名が他人に変えられる気分は百も承知のはずです。にもかかわらず変えました。私の知る限り、彼が他人の曲のタイトルを変えたのは、後にも先にもこのエルナーンデスの名曲【荷車曳き】だけです。その動機ですが、この歌の曲想、つまり彼が曲から受けた感覚にあったのだと思います。「早朝の清々しい空気につつまれた朝」の雰囲気と、その中を「荷車を曳きながら行くヒーバロ」の姿を想像してみてください。どちらが、より強くフリートの感性を揺さぶったかです。彼は、独特の繊細な感覚で言葉を選び、作詞していたことは繰り返し述べてきました。フリート・ロドリーゲスは、この歌を幾度となく聴いたり歌ったりしているうちに、心の中に ‘清々しい夜明け’ のイメージが広がっていったのではないでしょうか。しかし、この曲に対するフリートの ‘受け止め方’ がどうあろうとも作者は恩師エルナーンデスです。ここからは更に大胆な推測をします。フリートがこの曲をレコーディングした1959年当時は、マエストロ・エルナーンデスはプエルト・リコで健在でした。フリートは恩師と常に連絡をとっていたはずです。従って、曲名の変更に関しても当然直接お伺いをたてた、と考えるのが自然で、結果、恩師は愛弟子の ‘お願い’ を快く了承したのだと思います。加えて、マエストロ・エルナーンデスの性格が概して ‘おおらか’ で、自作に対してあまり強い ‘こだわり’ を持っていなかったことも幸いしたのかも知れません。そのエルナーンデスの ‘おおらかな’ 性格については、『カリブのラテントリオ』(90頁)の脚注(*1)に、【プレシオーサ: Preciosa】の歌詞の変更に関連して記述されています。なお、ラテンアメリカ広しといえども、この【荷車曳き】の題名を【夜明けだ!】に変えてレコーディングしている歌手/グループを、フリート・ロドリーゲス以外私は知りません。
¡Amanece, amanece!
Ya se escucha de los jilgueros la alegre diana.
¡Amanece!
El rocío se va secando sobre la grama
y las flores van despertando
y por la sierra los carreteros se oyen cantando,
cantando así.
夜明けだ!夜明けだ!
もう、ひわ鳥が楽しそうに
起床ラッパを 吹いている!
夜明けだ!朝露が小枝に光り
花々が目を覚ます
山のかなたから
荷車の人たちの歌声が聴こえてくる
Ya amaneció, ya el sol salió.
¡Que lindo es!
Ya estamos en pleno día.
Ya todo es lucia alegría.
Ay le lo lai le lo, le lo la!
Que lindo es, cuando amanece.
Y que linda es la mañana.
Dios te bendiga mil veces,
¡mi tierra borincana!
もう夜明けだ!お日樣も顔を出す
なんて綺麗なんだ!
さあ一日の始まりだ
すべてが光り輝いている
アイ・レロ・ライ・レロ・レロ・ラ!
夜明けがこんなに美しいとは!
なんて素晴らしい朝なんだ
どうか神様、我が祖国
ボリーンケンをご祝福ください!
4.【心は真実を語る:El Corazón No Engaña 】「ボレーロ」
この曲の作者ラファエール “ブリュンバ” ランデストーイ(Rafael “Bullumba” Landestoy)は、1924年ドミ二カ共和国の首都サント・ドミーンゴ生まれの著名な作曲家です。本国はもとよりメキシコ、プエルト・リコ、二ューヨークで活躍しました。彼とラファエール・エルナーンデスとの交友は良く知られています。『カリブのラテントリオ』(279頁)に掲載されている【砂漠の砂つぶ:Arenas Del Desierto】と、このアルバムの12曲目 【貴女のもの:Te Pertenece A Ti】も彼の作品です。
Me lo dice el corazón
y el corazón no engaña.
Estás jugando con mi amor
y estás matando la pasión
que siento por ti.
心は真実を語り
偽らない
君は僕の愛をもて遊び
君への情熱を
消そうとしている
Más te advierto
no seas cruel con mi cariño
porque mañana puedes pagar
lo que me estás haciendo sufrir
言っておくけど
僕の愛は狂っていないよ
明日になれば僕が受けた苦しみを
君が清算してくれるから
・・・・・・・・・・・・・・・・・
Muchas horas de amargura yo he pasado
soportando tu desprecio y merecido.
君のさげすみと仕打ちに耐えながら
長い間僕は苦しみぬいてきた
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
5.【愛の信念:Credo De Amor】「ボレーロ」
本アルバムに登場する2曲目のフリート・ロドリーゲスの作品です。前項で彼の歌の特色として、歌詞の難解さをあげました。この歌などはその典型でしよう。曲そのものは素晴らしく、演奏の出来栄えも最高ですが、内容が分かりにくいのです。以下の訳詞をお読みください。この歌詞が意味することはなんとなく分かりますが、内容が複雑で、ロマンティックな「愛/恋の歌」にしては背景が込み入っています。【愛の信念】というタイトルも意味深です。「信念・信条(Credo)」といったようなシュールな単語が使われているロマンティック・ボレーロは、あまり聴いたことがありません。
Tus labios se quedaron sin mis besos,
mis besos se quedaron sin tus labios.
Y tal parece que nada sucedió,
aunque faltamos al credo del amor.
Y el temor de perder la vida por tu amor,
de mi mente ya desapareció.
君の唇は僕との口づけを忘れ
僕の唇も君との口づけを忘れたままだ
二人とも愛の信念に欠けたこともあって
長続きしなかった
君への愛のために人生を棒にふる恐怖は
僕の頭から消え去った
Ni se acaba el mundo, ni el cielo se apaga
porque distanciados sigamos tú y yo.
La vida camina tal y como entonces
cuando nuestras almas unidas rezaban
un credo del amor.
君と僕が離れているかぎり
この世の終わりも闇も関係ない
僕たちの心が一つになり
愛の信念を持てるようになったら
人生、そのときはそのときだ
Oración que por un tiempo nos unió,
presintiendo la fatal separación.
最後の別れを予感しながら
つかの間の愛を祈るのみ
Hoy el temor de perder la vida por tu amor
de mi mente ya desapareció.
君への愛のために人生を棒にふる恐怖は
僕の頭の中からようやく消え去った
6.【夜半の恋:Idilio De Una Noche 】「ボレーロ」
フリート・ロドリーゲスの曲が続きます。「アイリスの花の中で雫が消える」などのユ二ークな表現は変わりませんが、中身は比較的分かり易くなっています。
Idilio de una noche será lo nuestro.
Comprendo que mañana me tengas que olvidar.
Quien vive de ilusiones padece desengaños.
Mejor es conformarnos, idilio de una noche,
y después nada más.
夜半のロマンス、それは僕らのこと
明日には君が僕を忘れるのが決り
幻想に囚われ幻滅するのは誰だ
それなら何も残らなくていいから
いっそ夜半のロマンスを認めよう
Como abandona el rocío al lirio
al despertar el nuevo día,
tus palabras, tus besos, tus caricias
de mi vida también se irán.
Dime que al menos mi nombre recordarás,
que tu nombre en mi mente vivirá.
アイリスの花の雫が消えるように
目が覚める頃には、君の言葉
口づけ、情熱は僕の人生から
消えてなくなるだろう
君の名前は忘れないから
僕の名前だけは覚えていてくれ
Idilio de una noche será lo nuestro.
Mejor es conformarnos, idilio de una noche,
y después nada más.
夜半のロマンス、それは僕らのこと
何も残らなくていいから
いっそ夜半のロマンスを認めよう
7.【高嶺の花:Flor De Roca 】「ボレーロ」
これは、ご存じ《トリオ・ロス・パンチョス》の重鎮チューチョ・ナバーロの作品です。同じボレーロでもこのトリオは本アルバムの ’フリート・ボレーロ’ や、ほかのそれに比べて、歯切れ良いアップテンポで演奏しています。プエルト・リコやドミニカの曲ばかり集めたこのアルバムの中で、メキシコの曲、それもナバーロの作品を採り上げたのには、何か理由があるのかも知れません。しかしナバーロの作品もこのトリオの演奏にかかると、なんとなくプエルト・リコ風に聴こえます。因みに《ロス・パンチョス》は、ファーストボイスがアビレース/モレーノ/ロドリーゲス時代はもとより、その後のアルビーノ、エンリーケ・カーセレス(Enrique Cáceres)、オビーディオ・エルナーンデス(Ovidio Hernández)、ラフェール・バスールト(Rafael Basurto)らとも、この曲のレコーディングをしていません。不思議といえば不思議な話です。フリートは後年、タティーン・バレと再びトリオを組み、この曲を再録しています。チューチョ・ナバーロはプエルト・リコを第二の故郷の如く想い、たびたび訪れていたことは周知の事実です。そのせいか、私はサン・ホワーンで、プエルト・リコのトリオがこの【高嶺の花】を歌っているのをライブで度々聴きました。前述のとおりチューチョ・ナバーロは、1948年アビレース《ロス・パンチョス》の第1期黄金時代に、プエルト・リコを歌った【遥かなるボリーンケン:Lejos De Borinquen】を作曲、レコーディングしましたが、フリート《ロス・パンチョス》はレコーディングしていません。ただし、フリートは1976年《ロス・トレス・グランデス》の最初のアルバムで、ラファエール・シャローンもトリオ《ボセス・デ・プエルト・リコ》で採り上げています。
Sobre la dura roca
que en el penacho altivo
donde solo las águilas para formar su nido,
una flora ha nacido.
Solo el viento la toca.
De nácar son sus pétalos.
La llaman flor de roca.
鷲だけが巣作りできそうな
高く険しい
岩山に
1輪の花が咲いている
それに触れられるのは風くらい
花びらもそこで生まれ
人々は高嶺の花と呼ぶ
Como la flor de roca dura y altiva,
así, así es tu vida.
Como la flor de roca que nadie toca,
así, así es tu boca.
高く険しい岩に咲く花
そうだ!それが君!
誰も触れない高嶺の花
そうだ!それが君の唇!
¿Quien pudiera alcanzarte para besarte,
mi flor altiva?
Yo te daré mi vida por adorarte
¡Ay, lay, lay ,lay!
mi flor de roca.
誰が君に口づけできるんだ?
僕にとっての高嶺の花
君への愛のためなら
死んでもいい!
僕の高嶺の花よ!
8.【愛する君:Cariñito】「ボレーロ」
これでフリート・ロドリーゲスの作品は4曲目になります。この歌の歌詞には珍らしく、「愛する君:Cariñito」といった「愛/恋の歌」の常套句が使われていて、内容も素直に伝わってきます。
Cariñito, mi amor,
tus ojitos de tristeza
llorarán con dolor
la pena de vivir sin mí.
愛する君よ
君は僕のいない人生に耐えかねて
その苦しみのために
溢れるばかりの涙を流すだろう
Cariñito, mi amor,
voy sangrando por la herida
de tenerte que dejar sin poderlo remediar
amargando una vez más tu vida.
愛する君よ、それを癒すことも
できなかったばかりか
再び君を苦しめて
僕も傷付き血を流したよ
Tu inocencia será
lo que ayude a disipar ¡ay! mi ausencia.
Mientras yo seguiré abrazando la fe que salva.
Implorando con el alma,
que pueda regresar
y me pueda quedar una eternidad contigo.
そのあどけなさがあれば
僕がいなくても君はやっていける
君が戻ってくれて
永遠に僕といてくれることを
心から願い、期待しながら
生きるのが僕の運命だ
9.【7回の口づけ:Siete Besos】「ボレーロ」
『カリブのラテントリオ』(100頁)3.「《トリオ・ロス・ロマンセーロス》」の項でくわしく紹介されているとおり、フリート・ロドリーゲスが 音楽家として頭角を現したのは、1946年フェリーぺ・ロドリーゲスらと《トリオ・ロス・ロマンセーロス》を結成してからです。当時弱冠21歳の彼は演奏家としてだけではなく、作曲家としても非凡な才能を発揮しながらプエルト・リコのトリオ音楽界の最高峰をめざし、着実に歩み始めていました。【7回の口づけ】は、その《トリオ・ロス・ロマンセーロス》時代にヒットした彼らのレパートリーのなかでもひときわ抜きん出た曲です。 残念ながら《ロス・ロマンセーロス》時代のレコーディングは全てSPで、その後LP やCDでは再録されていません。いわゆる ‘幻の名盤’ です。幸い私は同書の著者オルティース氏から《ロス・ロマンセーロス》のほかの演奏と共にこの音源をいただきました。
ただ何といっても、マエストロ・ロドリーゲスの自宅で、彼の秘蔵のジュークボックスに入っていたこの曲のオリ ジナル盤を、マエストロやオルティース氏と一緒に聴いたときの感激は今でも忘れられません。ところで、歌詞の ‘哲学的で理屈っぽい’ ところがフリート・ボレーロの作風で、そこが魅力になっている、と今まで強調してきました。しかし8曲目の【愛する君】とこの曲も含めて、5枚のベストアルバムの中には、それとは真反対の ‘素直な表現’ の歌詞と ‘親しみやすいメロディー’ を持った ‘純愛ラブソング’ とも呼ぶべき曲がいくつか収められていれます。これに関しては、これから順次ご紹介していきます。
第2章(Ⅱ)B《トリオ・ロス・パンチョス》cレパートリーの項でご紹介したとおり、フリート・ロドリーゲスの《ロス・パンチョス》時代にアルフレード・ヒルが採り上げたフリートの曲は全部で10曲です。しかしその中にこの【7回の口づけ】は入っていません。彼の若き日の代表作でもあるこの曲を、マエストロ・ヒルはなぜレコーディングしなかったのか詮索してみるのも一興です。以下は私の勝手な想像です。《ロス・ロマンセーロス》時代にフリートが発表した曲で、《ロス・パンチョス》のレパートリーにあるものとしては、【1分:ウン・ミヌート】と【誰と話そうか】があります。【ウン・ミヌート】は、ヒルによって題名が【ウン・モメーント】に改名されたことは、 第2章(Ⅱ)Bの《トリオ・ロス・パンチョス》eで既に述べました。では、【ウン・ミヌート】と【誰と話そうか】とが入選して、【7回の口づけ】がなぜ落選したのでしょうか? 前述したように、《ロス・ロマンセーロス》時代には【ウン・ミヌート】や【誰と話そうか】に比べて、【7回の口づけ】の方がはるかに評判が良かったのに、です。
その一番の理由は歌詞だと思います。以下の対訳でお分りのとおり、フリートの数ある作品の中では異色と言って良いほど素朴な内容です。良く言えば ‘初々しい’ のですが、‘純情すぎる’ のです。これが、黄金期の真っ只中にあった《ロス・パンチョス》のリーダーの円熟した ‘ロマンティック・ボレーロ’ の感覚に合わなかったのではないでしょうか? 汚い表現で恐縮ですが、アルフレード・ヒルにとって【7回のく口づけ】は ‘青臭いガキの歌’ に聴こえたのかも知れません。しかし、このアルバムに収録された【7回の口づけ】の演奏は、《ロス・ロマンセーロス》時代の ‘初々しさ’ はありませんが、立派に ‘円熟した大人の歌’ になっています。ヒルさんがこれを聴けば全く別の感想を持ったことでしょう。フリートは後年、《フリート・ロドリーゲス・トリオ(B)》で【ウン・ミヌート】を再録したり、ライブで歌ったりしています。それに反し、彼は初期の代表作【7回の口づけ】を、私が知る限りこのアルバムを最後にカバーしていません。興味あるところです。
Tres besos quiero darte, solo tres besos.
Capullos florecidos del corazón.
Para que los deshojes entre tus labios.
Y te cuenten la pasión que nació en mi corazón
desde que te conocí.
君に口づけを3回あげたい
花の蕾のような心こもった口づけを
その蕾を君の唇が剥がせるように
君と知り合って生まれた僕の情熱を
口づけが教えてくれる
Tres besos bastarán, tres besos tuyos.
Para decir que sí, que me querrás.
Como tres y tres son seis,
nos daremos uno más,
que el de la suerte será.
Siete besos nada más y florecerá un amor
para no morir jamás.
僕を愛していることが分かるなら
君からの口づけも3回で十分だ
君からの3と僕の3、合わせて6
僕らのさらなる幸せのために
もう一つ加えよう
僕らの永遠の愛のためなら
7回の口づけで十分だ
10.【ことづけ:Mensaje】「バルス」
バルス(ワルツ)は、ラテンアメリカの大衆に広く愛され浸透しているポピュラー歌謡のジャンルの一つです。中でも「バルス・ぺルアーノ(Vals Peruano):ペルーのワルツ」を知らないラテンアメリカ音楽愛好家はいないでしょう。しかし私が収録できた80曲を超えるフリート・ロドリーゲスの作品のなかで、彼が作曲したバルス歌謡はこれ1曲だけです。だからと言って、彼がバルスが嫌いだったというわけではありません。その証拠として、《ロス・パンチョス》時代も含めて、前任者エルナーンド・アビレースほどではありませんが、たくさんのバルス・ペルアーノを見事に歌いこなしています。ただ彼には、《ロス・パンチョス》《フリート・ロドリーゲス・トリオ》《ロス・トレス・グランデス》の各時代を通して、エクアドル、ペルー、パラグワイ、ボリービアなどのクリオーリョ音楽圏に巡業したという記録が残っていません。一方アビレースは何度もそれらの国を訪れていて、バルスをはじめクリオーリョ音楽には馴染み深かったはずです。当然、アビレースのレパートリーの中に、そのジャンルの曲が多数含まれていても不思議ではありません。そういうわけで、このフリート作の【ことづけ】は、あくまでカリブの薫りがするプエルト・リコのバルスであり、バルス・ぺルアーノとは違った味わいを持っています。歌詞も例によって意味深長で、いまいち歌の主人公たちのシチュエーションがはっきりしません。
Cada estrella fugaz que cruza el cielo
un mensaje de mi amor ha de llevarte.
Nadie podrá de tu vida arrancarme,
Yo soy tu sombra yo soy tu sombra
y contigo voy a todas partes.
Yo soy tu sombra
y contigo voy a todas partes.
夜空に流れる一つ一つの流れ星が
僕の愛の言葉をを君に伝えるはずだ
誰も君から僕を引き離せない
僕は君の影となって
君と一緒に何処へでも行く
僕は君の影となって
君と一緒に何処へでも行く
Desafiando las tempestadas del destino,
naufragando por los mares del dolor.
Voy celando infatigable tu cariño
y en mis delirios siento tus besos,
oigo tu voz.
君は苦悩の海にもまれながら
運命と葛藤を始め
僕はずっと君の愛を見守り続ける
錯乱の中で君の口づけを感じ
君の声が聞こえる
11.【初めての口づけ:Tu Primer Beso】「ボレーロ」
フリート・ロドリーゲスのボレーロのスタイルは極めてオーソドックスですが、この曲は珍しくイントロの前にバースが入り、いきなり♪君が僕のことを思い出したくないのは辛い♪ と嘆き始めます。歌詞も全体的に叙事的で、カリブの海岸の美しさが目に浮かぶようです。この【初めての口づけ】も、9曲目の【7回の口づけ】で述べた ‘素直な表現’ の歌詞と ‘親しみやすいメロディー’ を持った ’純愛ラブソング’ です。ほかのグループでもっとカバーされても良いと思うのですが、不思議に聴いたことがありません。
Como me duele
que no quieras recordar.
君が僕のことを
思い出したくないのは辛い
Sobre la arena blanca,
frente al palmar, un juramento.
Entre la espuma de las olas,
con la luna embrujadora
nació tu primer beso.
白い砂浜の
椰子の木の前で誓い合い
白波がくだけ
魅惑的な月の光に照らされて
君と交わした初めての口づけ
Es inútil llorar
si la vida es así, te fuiste.
Y tu beso quedó estampado
en mi ser por siempre.
どうせ君が行ってしまうなら
今更泣いても始まらない
ただ君の口づけは
僕の心に刻まれた永久に残る刻印だ
Sobre la arena blanca,
frente al palmar, te sueño.
Y me despierto sollozando con pensar
que ya no soy tu dueño.
白い砂浜の
椰子の木の前で君の夢を見る
そして泣きながら目を覚ます
君はもう僕のものじゃないと思いながら
Es inútil llorar, si así es la vida.
Pero me duele que no quieras recordar
tu primer beso.
今更泣いても始まらない
でも君が初めての口づけを
思い出したくないのは辛い
12.【僕は君のもの:Te Pertenece A Ti】「ボレーロ」
いよいよ本アルバムの最後の曲になりました。この曲の作者は、4曲目の【心は真実を語る 】と同じドミニカ出身のラファエール “ブリュムバ” ランデストーイです。彼は、ときの大統領トルヒーリョの極端な独裁政治を嫌い、故国を離れました。ただの音楽家ではないのです。それを考えると、この曲が単なる甘いロマンティック・ボレーロではなく、インパクトのある ‘大人のラブソング’ に聴こえます。 アレンジは、カリブのリズム感あふれるアップテンポなボレーロになっていて、プロデューサーのラファエール・ぺレス氏も、アルバムのエンディングにふさわしい曲、と判断したのでしょう。1曲目のボレーロ【君の枕】から11曲目の【初めての口づけ】まで全体的にしっとりとした「愛/恋の歌」が続く間に、【夜明け】や【高嶺の花】のような、やや曲調の違った歌が挟まれ、アルバムに ‘めりはり’ がついた後、最後にこの華やかな曲で終わります。ぺレス氏が名プロデューサーと呼ばれる所以です。
フリート/バレ/シャローン3人のバランスのとれた歌声が織りなす、見事なハーモ二ーをお聴きください。まさに堰を切ったような迫力あるコーラスです。加えてレキントの名人ラファエール・シャローンの熱演があります。特にイントロ、間奏、ブリッジ、アドリブを弾く際、クワトロ演奏で用いられる、カポタストを使わず人差し指で6弦全部を押さえながらフレットをすべらせる技術とその効果は驚異的です。このように卓越した3人の歌唱力と天才シャローンのレキント、それにぺレス氏の器量がなければ、この曲はこんな素晴らしい出来栄えに仕上がらなかったのではないでしょうか。その点からも、この曲こそ、ほかのグループの演奏でも聴いてみたいものです。
He pasado muchas noches
soñando contigo.
He pasado muchos días
pensando en tu amor.
僕は幾夜となく
君の夢を見て過ごしてきた
僕は何日も
君を想って過ごしてきた
Y tu no quieres mirarme
Y tu no quieres hablarme.
Más importa tu desprecio
si al fin de perdonar.
なのに君は振り向こうともしない
なのに僕と喋ろうともしない
もっと心配なのは軽蔑され
最後は捨てられること
Aunque no quieras mirarme,
aunque no quieras hablarme,
aunque me digas que nunca
volverás junto a mí.
君が振り向こうとしなくても
君が何も言おうとしなくても
君が僕のもとには
もう戻らないと言っても
He de seguirte queriendo
porque mi vida ,cariño, mi alma,
y todo lo que tengo
pertenece a ti.
Pertenece a ti, pertenece a ti.
君を愛し続けずにはいられない
それは僕の命、情熱、心
僕のすべては
君のものだから
すべては君のもの・・・
(Ⅱ)第2集(VolumeⅡ)「忘れられない恋:Inolvidable Amor」
LP : SALP1268 CD : HGCD1268
前述のとおり、アルバム第1集の大ヒットのおかげで、この2枚目以降次々とアルバムが発売され、シリーズは最終的に5枚になりました。「柳の下に泥鰌は5匹」いたことになります。このアルバムはボレーロが9曲、リャネーラ(Llanera)が1曲、マぺイェーが1曲、グワヒーラが1曲となっています。作家別でみますと、プエルト・リコの歌が9曲、キューバが1曲、メキシコが1曲、べネゼーラ(?)が1曲となっています。前アルバムと違うのはヒーバロ歌謡が1曲入っているのと、フリート・ロドリーゲスの作品が僅か3曲、それも新曲は2曲だけということです。それ以外は本アルバムの全体的なコンセプトは基本的に1枚目と変わっていません。すなわち、ボレーロを中心にそれほどポピュラーではない名曲を、しっとりと斬新な演奏で聴かせ、その中に超有名な曲をいくつかちりばめるというものです。名プロデューサーのラファエール “ラルフ” ぺレス氏が第1集の成功の要因を的確に判断し、この第2集でも同様な手法でヒットさせたのは、さすがというほかはありません。アルバムの中身とは全く関係ありませんが、興味ある話を一つご披露しましょう。ジャケットのデザインです。すなわちオリジナルLPとCDのそれが違っています。
なぜ変えたのかを「アンソー二ア社」に尋ねたところ、「オリジナル写真のネガが劣化しているために再使用に耐えられなかったから」、だそうです。ちなみに私がマエストロ・ロドリーゲスに初めてお目にかかったとき、5枚のCDのジャケットを総て持参していました。そのうちのどれかにサインを貰うためです。そのときマエストロが選んだのは、この新しい第2集のジャケットでした。確かにオリジナルのLPよりもはるかに垢抜けています。比べて見て皆様はどう感じられるでしょうか。なお第4集のCDジャケットのデザインも同様な理由でオリジルと差し替えられています。なお、アルバムのタイトル『忘れられない恋:Inolvidable Amor』の表記は、オリジナルのLPにはありますが、デジタル化されたCDにはありません。
1.【もっとお泣き:Llora Más】「ボレーロ」
オープ二ング・ナンバーは勿論プエルト・リコの曲です。作者のへルマーン・ルーゴ・デルガード (Germán Lugo Delgado) は異色な作曲家といって良いでしょう。彼は歌手でもなく楽器も弾きませんでした。1917年の生まれといいますから、《ロス・パンチョス》のヒルやナバーロらと同世代です。彼の場合は特に目立った音楽歴や活動はなく、音楽とは関係無い職を転々として、最後は二ューヨークで非業の死を遂げました。それでも80曲ほどのボレーロやグワラーチャを残し、多くのヒット曲も生み、その多くはプエルト・リコはもとよりメキシコ、コロンビアの有名グループによってレコーディングされています。中でも【進退極まって:Entre Pared Y La Espada】は、彼の代表作として広く知られています。この【もっとお泣き】もヒット曲の一つですが、トリオは第4集にも彼の【互いの我儘:Mutuo Egoísmo】を収めています。
Llora más por favor llora más
hasta formar un río
que un río yo formé al llorar
cuando lloré por ti
もっとお泣き
その涙が川になるまで
僕だって君のために
涙の川をつくったよ
Llora más por favor llora más
sobre este pecho mío
Desahoga tu hondo penal
y llora más por mí
もっとお泣き
僕のこの胸の中で
罪の気持ちを吐き出して
もっとお泣き
Yo quiero que me ruegues
si sufras el desvelo
Llora hasta que te ciegues
y así me querrás más, mucho más
悩みをかかえているなら
僕を頼りにして欲しい
もっと僕を愛せるように
眼が霞むまでもっとお泣き
Llora más por favor llora más ・・・・
2.【グワダラハーラ(Guadalajara)娘の瞳:Ojos Tapatíos】「ボレーロ」
このアルバムを初めて聴いた人は、1913年にフェルナーンド・メンデス・べラースケス (Fernando Méndez Velázquez)(アルバム表示ではなぜか O.A.Oteo と誤記されています) が、同じメキシコ人のホセー・F・エリソンド(José F. Elizondo)の詩をもとに作曲したこの有名な古典的メキシコ歌謡が、ボレーロにアレンジされ、2曲目に登場することに少し違和感を感じるかもしれません。しかしそれには理由があります。たびたび述べているように、アルバム全体の構成にメリハリをつけるため、あえてここでメキシコの超ポピュラーな曲を持ってきたのだと思います。では、なぜ【グアダラハーラ娘の瞳】なのかということです。私はこれを選んだのは間違いなくフリート自身だと推測しています。ご存じのとおりこの歌は、‘ハリースコ(Jalisco)=グアダラハーラの伊達男’ ホルへ・ネグレーテ(Jorge Negrete)が歌ってメキシコの国民歌謡にもなった【麗しのメヒコ:Mexico Lindo】と並んで、彼の数多いヒット曲の中でひときわ抜きん出た彼の持ち歌です。そのホルへ・ネグレーテがフリートを弟分のように可愛がっていた話は有名で、またフリートもネグレーテのことを深く尊敬し慕っていたことも広く知られています。ですから、フリートが数あるメキシコの人気歌謡から特にこの曲を選んだのは納得できます。
No hay ojos más lindos en la tierra mía,
que los negros ojos de una tapatía;
miradas que matan, ardientes pupilas,
noche cuando duermen,
luz cuando nos miran.
グアダラハーラ娘の黒い瞳ほど
麗しいものは無い
悩ましい視線と燃えるような瞳
夜のとばりが降りても
瞳から光がもれる
En noches de luna, perfume de azahares,
en el cielo estrellas y tibios los aires
y tras de las rejas, cubiertas de flores,
la novia que espera, temblando de amores así,
柑橘の香り漂う月の夜
星は輝き心地よい風
窓辺は花で飾られ
恋に身を焼くあの娘がいる
Y al ver esos ojos que inquietos esperan,
apagan sus luces las blancas estrellas;
los aires esparcen aromas mejores,
y todas las flores suspiran de amor.
白く輝く星よ光を消して
彼女の不安と期待に満ちた瞳をごらん
辺り一面に芳しい空気が漂い
花々が愛を囁いている
Por una mirada de tan lindos ojos,
estrellas y flores padecen enojos;
los aires suspiran y el cielo se apaga
y en el alma vaga la queja de amor.
そんな麗しい瞳で一瞥されると
星や花々は戸惑いを感じ
風は騒ぎ空は曇り
愛への不満が心をよぎる
3.【瞳に輝く一つ星:Una Estrella En Tus Ojos】「バルス」
第2章(Ⅴ)《フリート・ロドリーゲス・トリオ(A)》の誕生A二つのミラクルのaタイミングで少し触れましたが、《フリート・ロドリーゲス・トリオ(A)》のミラクルの一つは、フリートは別格としてもほかの二人、タティーン・バレとラファエール・シャローンも作曲家として立派な実績を持っていることです。特にタティーン・バレは、このトリオに参加する以前からその非凡な才能は広く認められていました。作品も数多く、中でもこの【瞳に輝く一つ星】と本アルバムの11曲目【君の思い出と共に:Prendido En Tu Recuerdo】は彼の代表作です。アルバムでの表記は「ボレーロ」となっていますが、これは明らかに「バルス」です。カリブ音楽の中では珍しい「バルス」形式のこの歌は、彼の青春時代をほうふつとさせるロマンあふれる1曲になっています。
Se ha retratado una estrella
en el fulgor de tu cara.
Tus ojos son ventanitas por donde
se miran tu alma y mi alma.
Muchachita tan bonita
llena de amor y ternura.
Quiero que seas la aurora
que borre el ocaso de mi desventura
Se ha retratado una estrella
y esta brillando en tus ojos.
Ella ha alumbrado esperanza
de complacer mis antojos
君の顔から
一つ星が光り輝く
君の瞳は君と僕の
心を見つめる小窓だ
君は愛と優しさに溢れる
美しい娘
その輝きで
僕の不運を救って欲しい
君の瞳の中に
一つ星が輝くのが見える
それは僕が立ち直れる希望に
光をあて続けてくれる
De llegar hasta tu boca
de acariciarte dormida
y de enlazarme en tus brazos
mientras me lude la vida
辛い人生に暮れる中
君に口づけをして
君の胸の中で眠る夢を
一つ星が叶えてくれる
4.【迷い子の君:Has Perdido Tú】「ボレーロ」
アルバム表示には作曲者名がオルランド・ブリート(Orlando Brito)となっています。オルランド・ブリートといえば、1951年にキューバの歌手ビエンべ二ード・グランダ(Bienvenido Granda)やメキシコのハビエール・ソリース(Javier Solís)らが歌って大ヒットしたあの有名な【アングースティア:苦悩:Angustia】を作った人です。しかし私の浅薄な知識と稚拙な検索力では、彼のバックグラウンドをつきとめられません。スペイン語表記の名前から、キューバ出身というのが定説のようですが確かな資料がなく、ブラジル生まれだという人もいます。あれほどヒットした曲の作者の記述が簡単に見つからないのも奇妙なことです。エルナーンド・アビレースが再加入した《ロス・パンチョス》も、1957年ブラジルで【アングースティア】をレコーディングしています。この日本人好みで、ラテン音楽ファンならずとも1度は口ずさみたくなるような、親しみやすいメロディーの【アングースティア】と、この【迷い子の君】は、同じ作曲家の作品にしては曲感が大分違います。そこで大胆な仮説をたててみました。「ブリート」というファミリーネームをもった著名な作曲家はキューバに存在します。アルフレード・ブリート(Alfredo Brito)、フーリオ・ブリート(Julio Brito)、エルネスト・ドゥワールテ・ブリート(Ernesto Duarte Brito)の3人です。前の二人はミゲール・マタモーロス( Miguel Matamoros)、エルネスト・レクオーナ(Ernesto Lecuona)、アルマンド・オレーフィチェ(Armando Oréfiche)、オスバールド・ファレース(Osvaldo Farrés)、モイセース・シモンス(Moisés Simons)、アントー二オ・マチーン(Antonio Machín)らとともに1900年代の初め、キューバ音楽の黄金時代を築きました。フーリオ・ブリートが1937年に発表した【掘っ建て小屋、我が愛の巣: Amor De Mi Bohio】は今日でもよく演奏され、本アルバムシリーズ第5集にも収録されています。エルネスト・ドゥワールテ・ブリートは彼らよりも少し遅い世代の音楽家です。彼は1950年にオーケストラを結成し、自作のボレーロ【どうした?:Como Fue】は、当時の人気歌手べ二ー・モレー(Benny Moré)が歌い、大ヒットしました。作風からみて、この【迷い子の君】はエルネスト・ドゥワールテ・ブリートの作品のように思えるのですが、いかがでしょうか? どなたか正解をお持ちの方が居られたら、こちらまでご連絡ください。
ところで、フリート・ロドリーゲスは《ロス・パンチョス》時代に何度かキューバを訪れていて、キューバ音楽には精通しています。ですから、この【迷い子の君】のようなあまり馴染みのない曲を見事に再演できたのだと思います。さらにフリートは、ソンの王様二コ・サキート(Nico Saquito)、本名:アンート二オ・フェルナーンデス・オルティース(Antonio Fernández Ortiz)の作品をメキシコやプエルト・リコに広めたことで知られています。
Odiarte jamás
pues ni eso tan siquiera te mereces.
Mi error fue pensar
que tú eras diferente a las demás.
もう君を恨むことはない
君はそれに値しないから
君が特別な女だと思ったのが
僕の間違いだった
Odiarte jamás
no te darle honor de mi desprecio.
Hoy siento piedad,,,,,,,,,,,,
porque otro amor así no encontrarás.
もう君を恨むことはない
軽蔑する気にもなれない
でもほかの恋人が見つからないのら
少し気の毒だ
No sabes que la vida sin amor.
Es igual que un desierto.
Es noche sin estrellas en el cielo
como un día sin sol.
Odiarte jamás
pues ni eso tan siquiera te mereces.
Has perdido tú
quien pierde solo inspira compasión.
君は愛のない人生がどんなものか知らない
それは砂漠のように不毛で
空に星がない夜みたいなもの
昼間に太陽が出ないようなもの
もう君を恨むことはない
君はそれに値しないから
道に迷った君に
同情はしない
5.【もう一つの恋:Otra Historia De Amor】「ボレーロ」
ご存知フリート・ロドリーゲスの大傑作の一つです。第2章(Ⅰ)A で、56年前の1962年、私が初めて《フリート・ロドリーゲス・トリオ(A)》を聴き衝撃を受けたこと、同時にそれが「パンチョスの歌とは違う’何か’ があった」ことは述べました。半世紀経った今でも、この5枚のアルバムを聴くと「パンチョスの歌とは違う‘何か’ 」を感じます。その55年前のその時に一番感動したのが、この【もう一つの恋】です。勿論この曲がフリート・ロドリーゲス自身の作品であることは知りませんでした。ただ、その頃のお粗末なスぺイン語のヒアリング能力でも、歌詞の一部 ♪あの夜毎の思い出が・・:el recuerdo de las noches que pasamos・・・♪ は聴きとれました。そのロマンティックなフレーズと、ほんの一瞬ですがコントラバスが奏でる哀愁漂う切ない響きは今でも忘れられませんし、今聴いてもその感動は変わりません。フリートはこの曲を作ったとき、曲名を【ある恋の物語: Historia De Un Amor】と名付けました。ではなぜ【もう一つの恋:Otra Historia De Amor】という題名に変わったのか? そのエピソードについては『カリブのラテントリオ』(178頁)脚注(訳注・15)に、私がマエストロから直接聞いた話として記してあります。【ある恋の物語】の方は、1956年に ‘マンボの王様’ ぺーレス・プラード(Pérez Prado)が『RCAビクター』でレコーディングし、日本でも大ヒットしました。そのほか、メキシコのぺドロ・インファンテ(Pedro Infante)が独特の甘い声で歌った【ある恋の物語】も、日本のラテン音楽愛好家の間では評判になりました。しかしこの曲は、それより以前の1955年に《ロス・パンチョス》がすでに発表していて、そのときのファーストボイスはフリート・ロドリーゲスでした。その後日本でもこのフリート《ロス・パンチョス》の【ある恋の物語】はかなり知られるようになりました。
ここからは余談です。【ある恋の物語: Historia De Un Amor】はパナマーの大富豪カルロス・エレータ・アルマラーン(Carlos Eleta Almarán)の作品です。ただこれについて疑問を呈する人が結構います。すなわち、この曲の実際の作者は彼の会社の使用人でドライバーも兼ねていたアルトゥーロ “エル・チーノ” アサン(Arturo “El Chino” Hassan)ではないか、というものです。事実アルトゥーロ・アサンは多くの曲を残したパナマーの著名な作曲家でもあります。この疑問について、私はプエルト・リコでその真偽のほどを何人かに尋ねてみました。結論からいいますと、その疑いは捨てきれないものの、「可能性は低い」そうです。確かにアサンはアルマラーンに雇われていましたが、当時すでに作曲家として知名度も高く、音楽に関してはアルマラーンとパートナーの関係だったようです。そんな彼が自分の曲を売るようなことはしない、という意見でした。
Para ti será la misma historia
olvidarte de mis besos y eso es todo.
Otros labios llegarán hasta tu boca
y otra historia empezarás del mismo modo.
君は僕の口づけを忘れて総てお終い
それは君にとっていつものこと
明日になれば別の誰かと口づけして
新たな愛の遍歴が始まる
Pero yo que al corazón le di sentencia
de adorarte mientras dure nuestra vida.
Seguiré siempre esperando que algún día
te canses de vivir tantas historias.
でも二人が生きている間は
君を熱愛する心は変わらない
君がいつかは愛の遍歴に
飽きが来るのを待ってるよ
Y verás cuando resurja en tu memoria
el recuerdo de las noches que pasamos.
Que otra historia de amor no te ha brindado
quien te quiera más,
siempre más, mucho más.
いつかは君の心の中に
あの夜毎の思い出がきっと蘇る
君はいくら激しく愛を求めても
どんなに愛の遍歴を重ねても
報われことはなかったから
Siempre más, mucho más
君はいくら激しい愛を求めても・・
6.【素敵な小麦色の娘:¡Ay! Trigueña】「リャネーラ」
アルバムのジャンル表示は「リャネーラ」となっています。「リャネーラ」という言葉の正確な意味は、べネゼーラ国の西側とコロンビア国の東側にまたがって住み着いたスぺイン人、あるいは彼らと先住民が混血して生まれた「メスティーソ(Mestizo)」と呼ばれる人々を指します。そこから生まれた音楽だから「リャネーラ」というわけです。同じ地域には有名な「ホローポ(Joropo)」というジャンルの舞踊音楽があり、べネゼーラのアルパがリードする【草原の魂:Alma Llanera】は広く知られています。この曲はフリート・ロドリーゲスが《ロス・パンチョス》で歌って有名になりました。【素敵な小麦色の娘】の作者は不明(D.R.)ですが、べネゼーラかコロンビアどちらかの歌であることに間違いはないでしょう。一つ気がつくのは、演奏中、特に間奏で響く軽快なマラーカスの音です。その独特で鮮やかなマラーカスのテクニックから、恐らくマエストロ・ロドリーゲスが振っているのだと思います。
¡Ay trigueña! como no quieres que llores,
¡Ay trigueña! si estas matando mi vida,
¡Ay trigueña! con el fuego de tus ojos,
¡Ay caramba! me tienes el alma linda.
小麦色の娘さん、存分にお泣き
小麦色の娘さん、その燃える瞳で
僕の命を奪ってもいいよ
なんて優しい心の持ち主なんだ!
Si supieras lo mucho que yo te quiero,
Si supieras lo mucho que yo te adoro,
¡caramba! me dieras de tu boquita,
un beso que para mí es un tesoro.
僕が君をどんなに愛しているか
君がそれをわかっているなら
その素敵な唇で僕に口づけをして
僕の宝物にさせてくれ
Mi cielo y mi encanto dan me tu amor
que los rayos de tus ojos me queman el corazón.
Quisiera estar muy cerca de ti
para estrecharte mis brazos,
y estar siempre junto a ti.
天から与えられた君の愛は
その光で僕の心臓を焼き尽くす
できることなら
君を強く抱きしめて
いつも君に寄り添っていたい
7.【忘れられない恋:Inolvidable Amor】「ボレーロ」
このアルバムのタイトルにもなっている、フリート・ロドリーゲスの新作ボレーロです。私が収録できたフリートの64曲の「愛/恋の歌」の中では、第1集の【7回の口づけ】【初めての口づけ】と同様、フリートの作品群の中では珍しい ‘純愛ラブソング’ のジャンルに入ります。甘いメロディーに乗ってながれる、彼独特の透き通る歌声は聴きどころですが、歌詞の内容はお約束の 「失恋→恨み節」といって良いでしょう。それはそれとして、歌詞の修辞に気になるところがあります。下記の歌詞と対訳の下線部分をご覧ください。歌いだ出しの1行目、2段目の1行目、最終段の1行目、各行の後半部分です。それぞれ訳詞は、同じ「それは永遠のもの」になっています。しかし原語の歌詞は、「mi sempiterna devoción」と「mi sempiterna emoción」が交互に出てきます。原語を直訳すれば、前者は「永遠の愛情」、後者は「永遠の気持」ですが、両方とも「忘れられない恋」を表す意味で使われ、フレーズも全く同じです。それでも意図的に修辞を変えているのは、作者フリート・ロドリーゲスの言葉にたいする繊細な感覚を示すものだと思います。
Inolvidable amor, mi sempiterna devoción.
Un retrato tuyo siempre guardaré.
Y en él te besaré cuando estés lejos de mí.
忘れられない恋、それは永遠のもの
君の面影はいつもそばにいて
離れていてもそれに口づけをするよ
Inolvidable amor, mi sempiterna de emoción.
Si al soñarte me matan los celos,
prefiero el desvelo para llorar por ti.
忘れられない恋、それは永遠のもの
夢の中で嫉妬に狂うくらいなら
君のために一晩泣き明かすほうがまし
Ay amor, nadie más,
solo tú en mí corazón reinarás.
Cuanto diera por saber que en esta ausencia
acordándote estarás de mí.
恋人よ、誰よりも君を愛す
僕の心は君のもの
今のように離れていても
君は僕を忘れないと信じている
Inolvidable amor, mi sempiterna devoción.
Si al soñarte me matan los celos,
prefiero el desvelo para llorar por ti.
忘れられない恋、それは永遠のもの
夢の中で嫉妬に狂うくらいなら
君のために一晩泣き明かすほうがまし
8.【孤独と悲しみ:Sola Y Triste】「ボレーロ」
本アルバムシリーズで登場するラファエール・エルナーンデスの2曲目の作品です。この曲を含めて《フリート・ロドリーゲス・トリオ(A)》は本アルバムシリーズの中で、ラファエール・エルナーンデスの作品を全部で5曲歌っています。マエストロ・エルナーンデスとフリートの特別な関係を考えると、この5曲という数字は小さいかもしれません。しかし数えきれないほどいるラテン音楽の作曲家の、星の数ほどある作品の中から5曲も選ばれた、と考えれば、それなりに納得がいきます。第2章(Ⅳ)作曲家フリート・ロドリーゲスの作品と作風Aの冒頭で「フリート・ロドリーゲスの音楽は恩師ラファエール・エルナーンデスの影響を強く受けている」と述べましたが、これはあくまで作品のジャンルの話です。個々の曲のメロディーや歌詞に類似性はありません。語彙が豊富なフリートの歌詞は意味深長で分かり難いことは再三述べました。それに比べ、マエストロ・エルナーンデスの歌詞は素直で分かりやすいのが特徴です。ラファエール・エルナーンデスの歌がいまだに世界中で愛され、歌われ続けられている理由の一つだと思います。この【孤独と悲しみ】も、すぐにでも歌いたくなるような名曲です。
Cuando te encuentres muy sola y muy triste
sin nadie en el mundo que sienta por ti,
recuerda siempre que yo fui en tu vida,
quién con caricias tus penas calmaban.
君が孤独と悲しみを味わったとき
君を想う人がいないと感じたとき
僕がいつも君の側にいて、苦しみを
癒したことを思い出して欲しい
Conmigo aprendiste conmigo viviste
las horas más dulces que nadie vivió.
ほかの誰ともなかった甘美な時間を
僕と過ごせた思い出とともに
Ahora que al fin ya te marchaste de mí lado
creyendo así que marchitabas mi existencia.
Si yo perdí una mujer que no me amaba,
tú perdiste quien te quiso con pasión.
でも君は僕を忘れ
ついに僕から離れて行った
僕が君に捨てられたというなら
君は熱愛者を捨てたことになる
9.【愛しの娘:La Muchacha Que Yo Quiero】「マぺイェー」
これまでの本アルバムシリーズ第1集、第2集をとおして、フリート・ロドリーゲス作品は8曲収められていますが、1曲を除き全てボレーロでした。第2集の9曲目のこの曲で初めて、彼のヒーバロ歌謡を聴くことができます。ヒーバロ歌謡については、第2章(Ⅲ)プエルト・リコ・トリオのファーストボイスとフリート・ロドリーゲス・レイエスB「ヒーバロ(Jíbaro)歌謡」で詳しく紹介しました。その中で、フリートがヒーバロ歌謡を多数作曲したことも述べました。この【愛しの娘】がその一つです。歌詞の中身は「愛/恋の歌」ですが、ボレーロではなくヒーバロの「マぺイェー」、正確には「セイス・マぺイェー」のリズムに乗せて歌うところが、彼の「愛国/ふるさと歌謡」に対する深い思い入れの表れだと思います。歌詞もボレーロに比べて形式にこだわりが見えます。完全な「デーシマ(10行詩)」ではありませんが、1番、2番、3番の各コーラスの歌詞がきっちり5行に収まっていて、それぞれの頭が ♪愛しの娘:La muchacha que yo quiero♪ で始まり、最後に ♪レロ、レロ、ライ♪ を3回繰り返して終わっています。♪レロ、レロ、ライ♪について、「これは何だ?」という質問がよくあります。これは日本の民謡でもよく聴く ‘合いの手’ です。メキシコやキューバの民謡でも、裏声や口笛を使いながら‘合いの手’ が入ります。プエルト・リコのヒーバロ歌謡ではそれが ♪レロ、レロ、ライ♪ というわけです。第1集の3曲目【夜明けだ!】や、次の10曲目【哀れなヒーバロ】でも登場します。演奏中に鮮やかなマラーカスが聴こえますが、今回も間違いなくマエストロ・ロドリーゲスが振っているのだと思います。
La muchacha que yo quiero
la comparo con las rosas.
Paseando por el jardín,
la besan las mariposas.
Tiene azúcar en su boca
que yo quisiera probar.
愛しの娘は
バラのよう
庭を歩けば
蝶が口づけをする
その甘い唇を
俺も味わってみたい
Y hasta la palma real
envidia su lindo cuerpo.
La muchacha que yo quiero
no sé si a mi me querrá
Ay le lo le lo lai・・・
彼女のしなやかな姿は
椰子の木も負ける
でも俺を愛してくれるかどうか
それは分からない
アイ、レロ、レロ、ライ・・・
La muchacha que yo quiero
la comparo con las frutas
de ojitos color café
y olor a piña madura.
愛しの娘は
果実のようだ
コーヒー色の瞳に
熟したパインの香り
Y en su pecho se dibuja
las pomarrosas en flor,
y sus manos de algodón
que a la vaca pinta ordeñan.
「ヤンボの実」のような
ふくよかな胸
乳搾りをするときの
綿のように柔らかい手
No acarician al que sueña
noche tras noche su amor.
でも彼女を夜毎想っても
無駄なこと
Ay le lo le lo lai・・・
アイ、レロ、レロ、ライ・・・
La muchacha que yo quiero
no sabe de mi martirio
自分の畑を持ちたいと
俺は朝から晩まで働きずくめ
trabajando noche y día
pa’ hacerme de mi ranchito.
そのつらさを
愛しの娘は分からない
Pa’ que viva como reina,
cuando se quiera casar,
y tener todos los hijos
que Dios nos quiera mandar.
結婚したら女王さまのように
暮らせるようにしてあげて
神様から
子供を授かり
Y que lleven mi apellido
como se debe llevar.
Ay le lo le lo lai・・・
皆んなに俺の苗字を
名乗らせたい
アイ、レロ、レロ、ライ・・・
10.【哀れなヒーバロ:Pobre Jibarito】「グワヒーラ:Guajira」
このラファエール・エルナーンデス作のヒーバロ歌謡も「愛/恋」がテーマです。主人公のヒーバロの青年は愛用のティプレを弾きながら「恋」を歌っています。ティプレという撥弦楽器については、第2章(Ⅲ)Bで触れていますので詳述は避けますが、クワトロと共にヒーバロ歌謡には欠かせない楽器です。ただしこの曲の内容はやや手がこんでいます。出だしこそ素直な「愛/恋」の歌ですが、サビの部分、♪昨日君が・・♪ の歌詞では突然客観的な表現が使われ、曲調も劇的にガラリと変わります。
アルバムに表記されている「グワヒーラ」は、20世紀初めに登場したキューバを代表する古典的なリズムです。その後ラテンアメリカに広く伝わり、プエルト・リコでも圧倒的支持を受けました。トリオも好んで演奏し、作曲家も多くの「グワヒーラ」の曲を書いています。フリート・ロドリーゲスもその中の一人です。「グワヒーラ」はもともと「グワヒーロ(Guajiro)」という言葉から生まれた呼び名で、キューバの「グワヒーロ」はプエルト・リコの「ヒーバロ」と同様、広く農民一般の呼称に使われます。この曲のフィナーレでは、バレとシャローンがドゥエットで歌う ♪ロレ、ロ、ロレ、ロ、ライ・・・♪ のバックに合わせてフリートがソロで歌っています。明らかにこのバージョンは、ほかの曲をフリートがアドリブで歌っているような気がします。残念ながら、その歌詞は聴きとれず、内容も不明でした。しかしその後、前出「第1集 2. 【我が運命:Mi Destino】」でバックグラウンドの究明にご尽力をいただいた三大寺義尹氏から貴重な情報をいただきました。それにより、このアドリブはマエストロ・エルナーンデスより10年ほど前に生まれ、詩人にして思想家、政治家として活躍したプエルト・リコでは著名な活動家ルイス・リョレーンス・トーレス(Luis Llorens Torres)の代表作で、彼が長年住んでいたヒーバロ山村のコリョーレス渓谷(Valle de Collores)を去る時のことを詠んだ「コリョーレスの谷間」の出だしの一部にフリートがメロディーをつけて歌ったもの、ということがわかりました。
ちなみに、ルイス・リョレーンス・トーレスは、プエルト・リコ独立運動に深く関わった熱烈な愛国者で、彼の詩はプエルト・リコ多くの音楽家によって取り上げられています。中でも、拙訳書「プエルト・リコ!カリブのラテントリオ」371頁と、本ホームページ「カリブのラテントリオ」第2章(Ⅴ)《フリート・ロドリーゲス・トリオ(A)》の誕生→A二つのミラクル→aタイミングの項でも紹介されているとおり、ラファエール・シャローンが1982年、自身のトリオ《ボセス・デ・プエルト・リコ》のアリバム『我がアメリカ幻想曲』でリョレーンス・トーレスの詩にメロディをつけ、2曲発表したことは有名です。ですから、この【哀れなヒーバロ】のフィナーレはルイス・リョレーンス・トーレス作詞、フリート・ロドリーゲス作曲ということになります。それにしても、フリートがどのような経緯でエルナンデスの名曲【哀れなヒーバロ】のフィナーレにこの詩を選んで歌ったのかは謎です。ただ、フリート自身も熱烈な愛国者で、祖国の運命には並々ならぬ関心をよせていたことは確かです。その点彼がトーレスの詩に強い感動を受けていたことも想像に難くありません。しかも、ラファエール・エルナーンデスもトーレス同様「ヒーバロ」に深い思い入れを持つ芸術家でした。エルナーンデスは、トーレスの詩を高く評価していたと言われ、フリートがどこかの時点でマエストロ・エルナーンデスと、トーレスの「コリョーレスの谷間」について話をしたのかも知れません。だとすれば、ここにもフリートとエルナーンデスの密接な師弟関係が伺えるような気がします。
Ven a tu ventana, vidita mía, vidita mía.
Ven que ya la aurora te está anunciando
la luz del día.
僕の大切なひと、窓辺に来てごらん
朝の光が
夜明けを告げているよ
Verás la aurora nace,
la sabes cantar
al compás de mi lira que alegre te dice
despiertate prenda, despiertate
prenda de mi corazón,
prenda de mi corazón.
夜明けだよ
さあ、耳を澄ましてごらん
僕の楽しそうな歌が聞こえるよ
愛しのひとよ、愛しのひとよ、
目を醒ましなさいと
歌っているのが聞こえるよ
Lo cante su jibarito que ayer mañana
la vi con un mozito rumbo a la iglesia
de la montaña.
昨日君が若者と山の教会の方に
向かって行くのを見たと
君のヒーバロ青年が歌っているよ
Adiós para siempre,
tiple querido, tiple querido.
ella fue una ingrata, llora maldito, llora maldito.
彼女はなんて不誠実な女なんだ!
愛するティプレよ泣いてくれ
ティプレよ君とは永遠のお別れだ
Ya jamás volverá mi tiple al sonar
al compás de mi lira
que alegre te dice
despiertate prenda, despiertate
prenda de mí corazón,
prenda de mí corazón.
lo le lo lo le lo lai,・・・
我がティプレよ、君はもう
僕が楽しそうに歌うことに
2度とつきあうことはない
愛しのひとよ、愛しのひとよ
目を醒ましなさいと
楽しそうに鳴ることもない
ロレ、ロ、ロレ、ロ、ライ・・・
ルイス・リョレーンス・トーレス作詞/フリート・ロドリーゲス作曲
Cuando salí de Collores
fue en una jaquita baya,
por un sendero entre mayas
arropa’ de cundeamores・・・
lo le lo lo le lo lai ,
lo le lo lo le lo lai・・・
鹿毛の仔馬の背に揺られながら
つる草のからまる雛菊の道をたどって
コリョーレスの谷間に
別れを告げました
ロレ、ロ、ロレ、ロ、ライ
ロレ、ロ、ロレ、ロ、ライ・・
11.【君の思い出と共に:Prendido En Tu Recuerdo】「ボレーロ」
本アルバムシリーズに収録されているタティーン・バレの2曲目の作品です。タティーンについては『カリブのラテントリオ』(226~227頁)に詳述されています。その中で、タティーンは10代の頃にすでにトリオを結成してレコーディングまでしていることが書かれています。【君の思い出と共に】はその頃の作品ですが、発表されたときのタイトルは【思い出:Recordando】でした。このロマンティックなボレーロを聴いていると、ロマン溢れるタティーンの青春時代が目に浮かぶようです。同時に彼が歌手としてだけでなく、作曲家としても非凡な才能を持ったミュージシャンだったことが十分に伺えます。歌詞と対訳の全文は『カリブのラテントリオ』(226頁~227頁)にゆずるとして、歌詞の1箇所、フレーズが原詩と演奏では異なるところがあります。歌詞の後半です。下から3行目、『カリブのラテントリオ』では ♪それを僕の胸にしまうでしょう:yo lo guardaré junto a mi pecho♪ になっていますが、本アルバムでは ♪それを君との口づけと共にしまうでしょう:yo lo guardaré junto a tus besos♪ と歌っています。これはフリートの助言でタティーン本人が変えたのではないでしょうか。良く聴いてみれば、♪(僕の)胸:mi pecho♪ よりも ♪君との口づけ:tus besos ♪ の方が歌詞としてインパクトがあるからです。
12.【永遠の憧れ:Eterna Adoración】「ボレーロ」
本アルバムに収められているぺドロ・フローレス・コールドバ(Códoba)の唯一の作品です。ぺドロ・フローレスといえばプエルト・リコを代表する作曲家で【ぺルドーン:ごめんね】の作者(ただし、これには異論を唱える人もいます。『カリブのラテントリオ』31頁 脚注*8 )としてあまりにも有名です。そのせいか、巨匠ラファエール・エルナーンデスと並び称されるプエルト・リコの大音楽家として、世界的に名声を得ています。お墓もそれなりに立派なものが、エルナーンデスの眠るサン・ホワーン墓地にあります。しかし実際のところはどうだったのでしょうか? 確かに1891年生まれのエルナーンデスと、1894年生まれのフローレスとは、ほぼ同年代の音楽家です。しかし音楽歴にはかなりの差があります。エルナーンデスは小学生時代に早くから音楽教育を受けていて、20歳代で独り立ちをすると、音楽家の道を歩み始めています。一方、フローレスが初めて音楽の世界に入ったときには既に34歳になっていました。しかもそのきっかけは、マエストロ・エルナーンデスと知り合い、《トリオ・ボリーンケン》に同行しながら、弟子のように音楽の手ほどきを受けたときからでした。やがてフローレスが自分のトリオを結成し、作曲したりするようになり、エルナーンデスと張り合う姿勢を見せたことから問題が発生しました。当然師匠格であるマエストロ・エルナーンデスは愉快ではありません。結局二人の仲は険悪になり、別々の道を歩むことになります。つまるところ、演奏活動の実績、作品の質と量、どれをとってもフローレスはエルナーンデスに遠く及ばず、比べものにはなりません。
以上の事柄を考えるてみると、フリート・ロドリーゲスが本アルバムシリーズの60曲中、ぺドロ・フローレスの曲を1曲しか選ばなかった理由も何となく分かるような気がします。さらに《ロス・パンチョス》時代に、アルフレード・ヒルの伝説的なイントロと相まって大ヒットした【ぺルドーン:ごめんね】以外、彼はぺドロ・フローレスの曲をあまり歌っていません。【ぺルドーン:ごめんね】は、ナサーリオ/シャローンの《フリート・ロドリーゲス・トリオ(B)》で1回だけレコーディングしていますが、正直なところ、あまり芳しい出来栄えとはいえません。
Mejor puede el sol dejar de brilla
que yo dejar de quererte.
Amor es algo que no puede matar
la misma muerte.
君への愛を失うよりは
太陽が輝きを失う方がよっぽどましだ
愛はそう簡単には
無くならない
Mejor puede que el mar seque sus olas.
Mejor puede que falte el aurora la luz
y los colores, la esencia entre las flores.
海に波がなくなり
曙光から光が消え
花に色や趣が無くなるほうがましだ
Habrá quién rija destino del mar.
Habrá quién ponga perfume la flor
y agua en la fuente.
誰かが潮の満ち引きを決めたり
誰かが花に香りをつけたり
誰かが泉に水を満たしているのだろう
Pero, mi corazón, no hay quién lo rija.
Es tan jura el camino de mi vida
desde que tu me quieres.
Por eso es que tu eres
mi consuelo, mi esperanza, mi locura
y mi eterna adoración.
だけど僕らのことは誰にも決められない
君が僕を愛したときから
僕の生きる道は決まったよ
だから、君は僕の心の安らぎ
僕の希望、熱愛する人
そして、永遠の憧れだ
(Ⅲ)第3集(Volume Ⅲ)「タイトルなし」
ALP : SALP1283 CD : HGCD1283
本アルバムシリーズの成功の一つに「アンソー二ア社」の創立者ラファエール “ラルフ” ぺレス氏の存在があったことは前述のとおりです。実はそのとき彼をサポートした重要な人物がいました。エルマーン・グラース(Hermán Glass)氏です。いつ、どのような経緯で「アンソー二ア社」に入社したのかは聞き漏らしましたが、彼は創立者のぺレス氏の娘で現社長のメルセーデス “タティ” ぺレスさんと結婚し、創業者の娘婿になっています。オリジナルアルバムシリーズのLP5枚全部の裏ジャケットには、作者は恐らくペレス氏自身であろうと思われる解説がスペイン語版、英語版両方並んで載っています。ただ、スペイン語版の執筆者の名前は、第1集と第2集がマリオ・デ・ヘスース(Mario de Jesús)、 第3集~第5集がペルラ・ペレス(Perla Pérez)(多分ペレス氏の血縁の方)となっています。一方、英語版の方は、5枚とも執筆者がエルマーン・グラース氏になっています。これは、グラース氏が当初からアルバムシリーズの製作に携わっていたことを示す証拠です。その製作も、第4集まではぺレス氏との共同作業でしたが、第5集はグラース氏一人がプロデュースしています。以上は現社長のメルセーデス “タティ” ぺレスさんから直接聞いて確認済みです。
さてアルバムの中身です。この第3集にはフリート・ロドリーゲスの新旧ヒット作を中心に、比較的ポピュラーな曲が集められています。最後の【フレネシー:熱狂:Frenesí】などはその最たるもので、いささか唐突に思われるほどです。
余談ですが、このアルバムのジャケットには、トリオの3人が、その頃ホームグラウンドにしていたホテル「カリーべ・ヒルトン」をバックに写っている写真が使われています。先年「カリーべ・ヒルトン」に宿泊した私は、これと同じアングルで記念写真を撮ろうと試みました。しかしバックの「Caribe Hilton」の文字は変わっていませんでしたが、ホテルとその外周は完全に改装されていて、残念ながらその願いは叶いませんでした。なおオリジナルLPには、レーべル内と裏ジャケットに必須記載事項である各曲の作者名が明記されています。しかしCDにはありません。「アンソー二ア社」がCDで再発売する際のミスだと思います。珍しいことです。
1.【カレンダー:El Almanaque】「ボレーロ」
これは、1952年フリート・ロドリーゲスが《ロス・パンチョス》に入団と同時に発表、記録的な大ヒット曲となった【海と空】から7年後の1959年、彼の作品としては【海と空】に次いでラテンアメリカで広く人気を博した曲です。特に、メキシコのプエンテ兄弟/エルナーンド・アビレースの《ロス・トレス・レイエス(Los Tres Reyes)》がこの曲をカバーして評判になりました。曲想は【海と空】と似ていますが、詞はさらに難解になっています。あたかもカレンダーの中にもう一人の自分がいて、それに向かって語りかけているような歌詞はまさに哲学の世界です。マエストロの葬儀のVTRの中で、ミルサ未亡人(本名:Sra.Mirza López Mendoza)がインタビューアーに向かって、❝フリートの作品の中で私が一番好きな曲は【カレンダー:El Almanaque】です❞と答えていたのが印象的でした。
Contemplando el almanaque
me consumo de tristeza.
Van pasando en caravana, los días de la semana
y tú de mí no te acuerdas.
カレンダーを眺めながら
僕の心は沈んでゆく
日付は毎日変わっても
君は僕をわかってくれないから
Se marchita lentamente el corazón
mientras pienso que en tu vida nada soy.
Y el almanaque contemplo con tristeza
sabiendo que hoy empieza
un nuevo día sin tu amor.
El almanaque contemplo con tristeza.
En cada fecha nació una decepción.
La voz del alma me grita que te espera
que nunca es tarde mientras arde mi pasión.
君にとっての僕を考えると
心はだんだん沈んでゆく
寂しくカレンダーを眺めていると
君の愛がなくても
新しい1日が始まることはわかる
寂しくカレンダーを眺める毎日は
失望の連続だ
僕が燃えているうちは間に合うと
僕は心の中では叫んでいるんだ
El almanaque contemplo con tristeza
sabiendo que hoy empieza
un nuevo día sin tu amor.
寂しくカレンダーを眺めていると
君の愛がなくても
新しい1日が始まることはわかる
2.【苦しみのしずく:Gotitas De Dolor】「ボレーロ・マンボ」
1曲目に続いてフリート・ロドリーゲスのボレーロです。1957年に結成されたこのトリオがこれを初めにレコーディングしたのはメキシコの『RCAビクター』で、結果はさんざんだったことは前にも述べました。その際、45回転EPアルバムに収められたフリートの作品は全部で3曲でしたが、その中の1曲がこの【苦しみのしずく】です。今回は、 ‘今度こそ’ とばかりに気合いを入れ直して、リべンジ録音したように聴こえます。その甲斐あって今回は前回とは全く異なり、シャローンのレキントさばきと相まって、素晴らしい仕上がりになっています。これはフリート・ロドリーゲスの作品の中でも【海と空】と【カレンダー】に次いでポピュラーな曲で、多くの歌手やトリオがカバー演奏しています。ただしこの曲は、いわゆる ‘フリート・ボレーロ’ ではありません。アルバムに「ボレーロ・マンボ(Borero Mambo)」と表記されているとおり、リズミカルなボレーロになっています。
Te vas a quedar con las ganas
de verme llorando la falta de tu amor.
Ese gusto no sé lo voy a dar ni a ti, ni a nadie.
君は僕が君の愛が欲しくて
泣いていると思うだろうけど
僕にはそんなつもりはない
Nunca vayas a pensar que es llanto lo que brilla
aquí en mis ojos.
Son gotitas de dolor derramadas al brindar
por tu abandono.
僕の目が光っているのは
泣いているからじゃない
君を諦めたのを
祝う苦しみのしずくだ
¿Por qué no te quedaste por allá,
por donde andabas?
¿Por qué no te pudiste conformar
con quién estabas?
どうして君は
そんなに移り気なんだ?
どうして君は
そんなに落ちつかないんだ?
Nunca vayas a pensar que es llanto lo que brilla
aquí en mis ojos.
Son gotitas de dolor derramadas al brindar
por tu abandono.
僕の目が光っているのは
泣いているからじゃない
君を諦めたのを
祝う苦しみのしずくだ
3.【可哀想な娘:Pobrecita】「ボレーロ」
この曲の作者アレーシス・ブラーウ(Alexis Brau)はプエルト・リコでは著名な作曲家ですが、ラテンアメリカ全域ではあまり馴染みのない名前です。活躍したのも1940年代で、古典的で地味な作風だったことも影響しているかもしれません。1940年代はプエルト・リコにとってまさに激動の10 年でした。その外因として、アメリカ合衆国大統領のとった「二ューディール政策」と、第二次世界大戦の勃発の二つが挙げられます。この二つの大きな波は、もともと強かったプエルト・リコの愛国心をさらに高揚させることになりました。当時のプエルト・リコ音楽界も例外ではなく、ラファエー・エルナーンデスやぺドロ・フローレスら多くの愛国音楽家が輩出しています。アレーシス・ブラーウもその一人です。同時代の国民的トリオ《トリオ・べガバへー二ョ》は彼の作品を数多くレパートリーに入れています。フリート・ロドリーゲス自身も《ロス・パンチョス》時代の前半1953年に、ブラーウの「ダンサ(Danza)」調の曲【呼びかけ:Llamandote】をレコーディングしました。想像ですが、これは恐らくフリートがアルフレード・ヒルに頼み込んだ結果だと思います。
Pobrecita que caminas por la vida
con la esperanza perdida destrozado el corazón,
sin que nadie te de ternura y abrigo
sin un noble fiel amigo
sin una ilusión de amor.
心がずたずたに折れ
希望もない人生を歩みながら
誰も愛の手を差し伸べず
親身になってくれる友もなく
愛に見放され可哀想な娘よ
Con tu pena vives pobre y olvidada
con el alma marchitada con tu destino cruel.
Y hoy que vagas por el mundo abandonada.
Quiero poner en tu vida una botita de miel
哀れにも存在を忘れられ
つらい人生を生きる娘よ
今日もさまよい続ける娘よ
そんな君を楽にさせてやりたい
Si nunca rindió tu orgullo
al hombre su espíritu de este mujer,
deja que yo al fin la dicha plena
pueda tu alma revolver.
君の誇りをもってしても
自力で這い上がれないのなら
まともな心と人生を
僕に取り戻させてくれ
Pobrecita ya no está sola en la vida.
Soy tu esperanza perdida.
Soy tu íntima ilusión.
Y esta noche te doy ternura y abrigo.
Soy tu noble fiel amigo para siempre, corazón.
可哀想な娘よ、君はもう独りぼっちじゃない
僕が君の希望になり
僕が君の心を支える
今宵君に愛の手を差し伸べよう
これからは僕が君の真の友達だ
4.【山彦と荷車曳き:El Eco Y El Carretero】「グワヒーラ」
アルバム第1集2曲目【夜明けだ!】の紹介の中で、この曲を「Carretero:カレテーロ:荷車曳き」をテーマにしたカリブ3大歌謡の一つとして紹介しました。「3大カレテーロ」曲の特徴として、歌詞の中に愛とか恋といった通常の歌謡曲に使われる言葉は登場しません。その代わりに、このプエルト・リコの ‘隠れた名曲’ には母国ボリーンケンを愛する気持ちが良く出ています。ここでいう ‘隠れた名曲’ とは、決して ‘ポピュラーではない’ という意味ではありません。それどころか、プエルト・リコでは多くの歌手がレパートリーに入れています。強調したいのは、トリオの演奏ということになると、なぜかほとんどの著名なトリオのレパートリーにこの曲が入っていないことです。その数少ないトリオに《フリート・ロドリーゲス・トリオ》とトリオ《ボセス・デ・プエルト・リコ》があります。しかも両方ともレキントはラファエール・シャローンで、イントロも同じです。このイントロがまた素晴らしく、この曲を伴奏する演奏家は例外なくこのイントロを使っています。察するところ、この【山彦と荷車曳き】を本アルバムに選んだのはフリートだとしても、シャローンもこの曲に相当惚れ込んでいたようです。
‘ヒーバロなまり’ をちりばめた歌詞もユ二ークで、自作の農産物を一杯積んで朝早く家を出たヒーバロ(農民)の牛車が、途中ぬかるみにはまり動けなくなり、大声で嘆く声が山彦(エコ:Eco)となって ‘こだま’ する、というシュールな内容になっています。曲中トリオが、その ‘こだま’ を巧みに表現しているところも聴きどころですが、曲想も、あのラファエール・エルナーンデスのヒーバロ歌謡の名作【ラメント・ボリンカーノ(Lamento Borincano)】を思い起こさせます。
作者は《トリオ・アウローラ(Trío Aurora》や《トリオ・ボリンーケン》などで活躍したプエルト・リコのトリオの草分け的存在、クラーウディオ・フェレールということになっています。しかし実際には彼は編曲者で、本当の作曲者はパウル・マルケス(Paul Márquez)のようです。残念ながらパウル・マルケスのバックグラウンドははっきりしません。いつか調べてみたいと思っています。
En un pantano atascao,
un carretero gritaba;
piedra fina, oye buey,
y oyó que del otro lao
una voz le dijo, “jey”…
¿Quien demonio es quien me llama?
en este eterno sufrir…
no vez que estoy atascao
y de aquí no pueo salí…ir…
ぬかるみにはまって動けなくなった
荷車曳きが牛に向かって叫んでいる
尖った石だ!気をつけろ!
向こうの方からも同じように聞こえてくる
オイ!気をつけろ!・・・
なんてこった!
こんなことになりやがって!
こんなとこに ‘はまり’ やがって!
足止めをくらっている暇はないんだよ!
¡Que irse ni que demonios!
si los bueyes ya no jalan,
de este pantano no salgo
ni siquiera hasta mañana …ana
畜生!どうすりゃいいんだ
牛はもう役に立たないし
明日までこのぬかるみから
抜け出せなかったらどうするんだよ!
Allá en casa la dejé
cocinando la comía,
un poco de bacalao,
ñame, platano y yautía … ía…
さっき出かけてきた家じゃ
朝飯を用意しているはずだ
干し鱈をチョッピリと
山芋やバナナ、それに里芋も添えてな
Mía está bien, muchas gracias,
solo esperando el momento
que llegue la comadrona,
en unión pa’ tío Pacheco…
女房は元気だ、ありがとう
今は早く身ごもってくれるのを
待つだけだ
神様どうかお願いします
Y contestandole al eco,
me ha pasao todo el día,
vamos a ver en la fina,
si salimos de este hueco…
eco eco eco …
俺の声が山中にこだまする
もう一日中ここにいるみたいだ
この穴から出られるか
さあ、もう一度石ころを見てみるぞ
山彦も聞こえてくる・・・
5.【帰れソレントへ:Torna Sorrento】「ボレーロ」
フリート・ロドリーゲスは、本アルバムシリーズ全60曲中、最初にして最後のスぺイン/ポルトガル語圏以外の歌謡を歌っています。歌そのものは、改めて解説するまでもなく、日本人にとって【オー・ソレ・ミオ】【サンタ・ルチーア】と並んで超有名なイタリアのカンツォーネです。気になるのは、20世紀初頭にイタリア人のデ・クルティス(De Crutis)兄弟が作ったこの古い歌謡を、なぜフリートが50年経ってわざわざ採り上げたかです。このアルバムシリーズを通して彼が伝えたかったメッセージを考えるとき、唐突さ、違和感を感じます。ただしこの曲は、確かに1902年に発表されていますが、世界的に有名になったのはもっとずっと後のことで、日本でも私が子供の頃、終戦後盛んに歌われていたと記憶しています。フリートがこの曲に初めて会ったのが何時の頃かは知る由もなく、彼が《ロス・パンチョス》時代にイタリアに巡業したという記録もありません。ただ彼がこの曲を深く愛し、大切にしていたことは確かでしょう。そうでなければ、キラ星のごとく並ぶ自作曲やヒーバロ歌謡が混じる、本アルバムのレパートリーに入れる理由が、ほかに見当たらないからです。ラファエール・シャローンのレキントも ‘場違いもの’ の曲にしては気持ちが入っているように感じられます。
【帰れソレントへ】は、ナポリ歌謡の【フ二クリ・フ二クラ:登山電車】のように元々ソレント市の観光用ご当地ソングとして作曲されたものです。従って原曲の歌詞はそれなりに、お硬いものだったようですが、それがいつのまにかロマンティックな歌詞のカンツォーネになりました。日本語の対訳詞もいくつかあります。一般に、♪麗しの海は・・・♪で始まる訳詩が原詩に近いことで有名です。フリートが歌っているスぺイン語の歌詞は、誰が訳詞したのかは分かりませんが、やはり ♪麗しの海は・・・♪で始まり、原詩に忠実なようです。さらにフリートはサビの部分をイタリア語で歌い、多彩な才能を披露しています。ちなみに、いわゆる場違い物の曲を多く歌って人気のあった《ロス・トレス・ディアマンテス》の歌詞のほとんどは、彼らトリオの生みの親であるマリアーノ・リべーラ・コンデ氏の創作で、原曲とは相当異なっていました。
6.【罪人:Delinquente】「ボレーロ」
フリート・ロドリーゲスがこの曲を作ったのは、彼が《ロス・パンチョス》を退団する直前の1956年マドリード公演のときです。その状況を彼は次のように述べています。
「そのときプラサ・エスパーニャ(Plaza España)でサラ・フォントーリア(Sala Fontoria)と会うためにʻ大通りʼ(La gran vía) でタクシーを待っていたんだ。そのうちに曲がボンヤリ頭に浮かんできて、タクシーに乗っても行く先を運転手に告げるのも忘れ、歌いながら書きとめ始めたよ。ドライバーから ❝旦那、行く先はどちらなんで?❞と訊かれ、慌てて ❝ごめんごめん、プラサ・エスパーニャまで頼むよ❞ と言うと、そのまま歌い続けたんだ。そのうちに運転手が振り返りながら ❝旦那、いい歌ですね。なんていう曲ですか? 教えてくださいよ❞ と訊くから、 ❝まだ出来上がってないからそれは無理だね❞ と断ったよ」(パブロ・オルティース著『トリオ・ロス・パンチョス歴史と年代記』より)。
この曲は最終的に、アルゼンチン生まれのテリーグ・トゥシ(Terig Tucci)の指揮するオーケストラの伴奏により、ニューヨークでレコーディングされました。これについてもフリートは、「この曲は最初テリーグ・トゥシが ❝これはタンゴの曲だ❞ と言ってタンゴにアレンジしたところ、エル “グエーロ” が ❝マエストロ、おっしゃることは良くわかります。でもファンは我々がボレーロを歌うのを期待していますので❞と主張したんだ」と語っています(同書より)。テリーグ・トゥシと《ロス・パンチョス》の深い関わりについては、『カリブのラテントリオ』142頁(*12)から143頁にかけて写真付きで記述されていますので、ご一読ください。彼はまた、タンゴの大歌手カルロス・ガルデール(Carlos Gardel)が最後にニューヨークでレコーディングした際の音楽監督でもありました。
La humanidad no puede comprender
la existencia de un querer
tan feliz como el nuestro.
人は僕らのような
幸せな恋があることを
信じようとしないだろう
Y tratará de hacernos claudicar
a la realización de nuestro sueños.
Buscará por todos medios de acabar
esta unión que es un mandado celestial.
それどころか僕らの夢を
壊そうとするだろう
一緒になろうと必死なのを
潰そうとするだろう
Yo encontré mi salvación entre tus brazos.
Que te arranquen de mi lado
puede ser mi perdición.
僕は自らの破滅を
避けるるためには
君にすがるしかない
Al extremo de llegar a delincuente,
antes que pueda la gente separarme de tu amor.
Aunque el mundo me señale para siempre,
quiero ser un delincuente
defendiendo nuestro amor.
皆が僕らを引き裂く前に
罪人になる覚悟だ
世間がいつまでもそうなら
僕は恋を貫くためなら
罪を犯してもかまわない
7.【海と空:Mar Y Cielo】「ボレーロ」
ようやく真打の登場です。アルバムシリーズのトップに選ばれてもおかしくない【海と空】が、なぜか第3集の7曲目に配置されました。本アルバム製作にあたっての金銭的リスクの重さを比べれば、選曲と配置に関してはプロデューサーのラルフ・ぺレス氏の意見の方が強く反映されているはずです。つまり、【海と空】が本アルバムシリーズの中で、もっと早くに収められていても不思議ではないということです。では、そのわけは何なのでしょうか? この問題に少しこだわってみたいと思います。
【海と空】については、『カリブのラテントリオ』(167頁~168頁)にその誕生秘話とともに詳しく紹介されていることは既に述べました。つまり《ロス・パンチョス》で歌ったこの曲の大ヒットにより、フリートはラテン歌手・作曲家として世界中のラテン音楽界に衝撃的なデビューを果たし、彼にとって【海と空】は自作曲の中でも特別な存在になったのです。
演奏を聴いてみましょう。まずイントロですが、弾いているのが誰なのか、ペレス氏のミキシングのせいなのか、シャローン以外の、フリートかバレが弾いているようにも聴こえる、短いバースが入ります。そして、完全にこの曲の一部となったアルフレード・ヒルの有名なイントロを、ラファエール・シャローンがおもむろに弾き始め、コーラスへとつなぎます。この時点でリスナーはオヤ?と思うはずです。それまで慣れ親しんできた《ロス・パンチョス》の歯切れの良いテンポと全く違うからです。人によっては、もの足りなさを感じたり、別な曲に聴こえるかも知れません。しかしトリオはこのテンポをかたくなに守りながら、シットリと最後まで歌いあげ、エンディングではさりげなくコントラバスの詠奏までかぶります。聴き終わってみれば、アルフレード・ヒルの《ロス・パンチョス》が比較的あっさり、さらりと歌っているのに比べ、全く違う曲感です。ただ、面白いことに演奏時間は両方とも3分弱と、ほぼ同じです。この間、《ロス・パンチョス》はタップリ2コーラスですが、このトリオは、2番を間奏後サビの部分から入っています。ほかにも、フリートがソロで歌うのは《ロス・パンチョス》では2箇所、ここでは5箇所、それも情感こもったフリートの熱唱です。さらに、打楽器も使われ方が異なります。この【海と空】では、前述したフリート愛好の「ボンボ」と呼ばれる大太鼓が前面に出てアクセントをつけますが、《ロス・パンチョス》版では「ティンバーレス」が遠慮がちに2箇所打たれるだけです。一体この差はどこから来たのでしょうか? 私なりに推測してみました。
フリート・ロドリーゲスが、この曲のおかげでメジャーデビューできたことは、先ほど述べたとおりです。そのときの青年フリートにしてみれば、それはひとえにアルフレード・ヒルのおかげ、と感謝していたに違いありません。その後《ロス・パンチョス》の一員として、彼はヒルのアレンジした【海と空】を抵抗なく、想像を絶する回数歌っていたはずです。しかしやがて、自作の【海と空】の曲想と、ヒルのそれとのズレが心の中で広がって行くのを感じ始めたのではないでしょうか。第2章(Ⅱ)歩みBのeフリート・ロドリーゲスの退団 で述べたとおり、彼が《ロス・パンチョス》を退団した理由として、‘健康問題’、 ‘ほかの二人との年齢差’ 、‘ヒルとフリートの感覚の違い’ 、‘【つかの間】の「ウン・モメーント」と「ウン・ミヌート」の語感の違い’ を挙げました。あえてこれらの範疇に加えるならば、‘【海と空】’ もそうでしょう。つまり私は、フリートが、この ‘自作曲の中でも特別な存在’ の曲を、自分の思うままに歌い、演奏してみたい、という願望を長年持ち続けていたのではないか、と思うからです。
しかし、その想いを凝縮し、曲を完成させるには、かなりの時間と練習を要します。本シリーズ全60曲は、すべて最初からそれ用としてレコーディングされたわけではないことは前にも述べました。ですから、《フリート・ロドリーゲス・トリオ》の【海と空】は、第3集の、このタイミングでようやく完成を見た、と私は考えます。注目すべきは、歌詞は一言一句変っていないことです。自作ですから、変えようと思えばどうにでもできたにも拘らず、です。このあたりにフリート・ロドリーゲスの性格がよく表れているような気がします。
ご存知のとおり、フリート・ロドリーゲスの100曲近い全作品の中でこの曲が飛び抜けて有名になりました。U-Tube を中心に、どれだけのプロらしき歌手/グループがこの曲をカバーしたか調べてみたところ、日本以外でも100を超えました。中にはスぺインの大学の音楽グループが、夜な夜な街を練り歩きながら歌うセレナータ、いわゆるトゥーナ(Tuna)の中でこの曲を朗々と歌う映像もアップされています。【べーサメ・ムーチョ】ならいざ知らず、この100という数字は驚異的ではないでしょうか。アコーディオンの入った「ノルテ・メヒコ(Norte Mexico)」の「コリードバンド(Corrido)」が、 ‘ここまでやるか!’ という感じで演奏する珍品まであります。ただし、それらのミュージシャンの中で、どれだけの人が、この曲をプエルト・リコのフリート・ロドリーゲスの作品だとしっかり認識して演奏しているかは甚だ疑問です。私自身も偉そうなことは言えません。レキントの実像が日本ではまだ知らていなかった学生時代、この曲を《ロス・パンチョス》で初めて聴き、直ちにコピーをして歌っていた私でしたが、この曲を《ロス・パンチョス》で歌っているのが、作曲者フリート・ロドリーゲス本人であることなど、あまり関心を持たなかったからです。
ここで、【海と空】にまつわる私の思い出話を一つします。私が初めてマエストロ・ロドリーゲスにサン・ホワーンでお会いしたときのエピソードです。マエストロはその日ライブコンサートを開いていました。何曲目かは忘れましたが、突然彼は私の方を向くと、観衆に向かって、❝彼は、私に会うために遥々日本からサン・ホワーンを訪れてくれました。次に歌う曲は、彼と日本の人々に敬意を表し、私が昔日本で公演を行ったときに人気を博した【海と空】です❞ と言って、【海と空】を完璧な日本語で歌い始めたのです。観客は大喜びでしたが、私は驚きました。確かに日本公演では、《フリート・ロドリーゲス・トリオ(B)》の日本語版の【海と空】を聴いた記憶はありました。しかしそれは30年も前のことです。それ以来マエストロは、日本語版の【海と空】を歌っていないはずなのに、良く今まで覚えていたものです。帰国後、その日本語の歌詞は、学生時代にお世話になった日本のトリオの草分け《トリオ・ロス・チカーノス(Trío Los Chicanos)》のメンバーの一人、故飯田卓三さんのお父上が書かれたものであることを知り、再びビックリしました。
最後に、私が【海と空】にどれほど入れ込んでいたかを披露します。ミレ二アムを目前にした1999年の暮に、初めてサン・ホワーンを訪れた私が真っ先に目ざしたのは、この歌に描かれた「美しい海と空が見える場所」を探すことでした。それは確かにありました。その美しい海の見えるサン・ホワーンの北端の大部分は、高い断崖絶壁になっていて、その一角にスぺイン人は鉄壁な要塞を築き、この町を中世の海賊やイギリス海軍の侵略から守りました。さらにメキシコ総督府からの要請で、パナマーからスペイン本国に向かう財宝輸送船団の中継地として提供し、メキシコから多額の補償も受けていました。その大西洋をのぞむ断崖絶壁の上を片側1車線の舗装道路が走っています。途中、道路沿いに建てられた議事堂前あたりから眺める大西洋はまさに絶景でした。そこからコバルト色の海のはるか向こうの水平線で、一つになった ‘海と空’ を見たとき、ここだ!と思いました。しかしすぐに、そこがバス通りではないことに気がつき、その辺りが【海と空】の誕生秘話として書かれているような、フリートがバスの「車中」で「突如一つの曲が浮かんだ」場所ではなかったことを知りました。それでも、議事堂前から見た大西洋の景色は曲のイメージにピッタリだったため、その時は十分満足してホテルに帰ったことを覚えています。その後しばらくはそのことを忘れていたのですが、3年前にサン・ホワーンを訪れたとき、もう一度トライしてみたくなりました。今回はタクシーをチャーターして『カリブのラテントリオ』の記述どおり、1952年10月11日の土曜日にフリートがヒルとナバーロに会うため、当時住んでいた自宅付近から、バスに乗り、プエルタ・デ・ティエーラ(Puerta De Tierra)のバスターミナルまで移動したであろうルートを辿ってみました。結論からいいますと、名曲の誕生のきっかけは、道中車窓から見た美しい「海と空」を見たフリートが、「彼の脳裏に突如浮かんだ」のではなかった、ということでした。その理由は、昔も今もバスは前述の海の見える場所は通らず、ひたすら街中を走っていたからです。私のロマンティックな妄想は見事に崩れました。後日オルティース氏にこのことを話したところ、彼はニヤッと笑って「あの曲が出来たときのバックグラウンドは、そんなロマンティックなものじゃなかったと思うよ」と、かなり ‘意味深長’ な話を披露してくれました。その詳細は名曲【海と空】とは全く関係ない内容なので割愛させて頂きます。
8.【僕の口づけでおやすみ:Sueña Con Mis Besos】「バルス」
【瞳に輝く一つ星】【君の思い出と共に】に続く3曲目のタティーン・バレの作品です。この曲も【瞳に輝く一つ星】と同じようにバルスなのは、たまたまなのか、それとも彼はバルスが特に好きだったのか、今となっては分かりません。それよりも、フリートとシャローンは、ほかの2曲に比べ丁寧に歌い演奏しているように感じます。歌い出しがタティーンのソロというのも珍しいアレンジです。前述のように、このシリーズ全60曲中同一作家の最大曲数が、かのラファエール・エルナーンデスの5曲であることを考えると、フリートが演奏家・作曲家としてのタティーン・バレをいかに高く評価していたかが分かります。バレが、この5枚シリーズを残しただけでトリオを去ったときのフリートの気持ちはどうだったのでしょうか。かなりの落胆ぶりであったことは想像に難くありません。 タティーン・バレ退団の真相は、 第2章(Ⅴ)のB独創性で述べたとおりです。バレを失ったトリオのその後の経緯は『カリブのラテントリオ』に詳述されています。1983年、フリート・ロドリーゲスはタティーン・バレを再びセカンドボイスに迎え『アンソー二ア』レーベルでCDを1枚発表しています。このときのレキントはラファエール・シャローンではなく、当時若手のホープ、リカールド・フェリウーでした。そして、この《フリート・ロドリーゲス・トリオ (C)》が彼の最後のアルバムとなりました。フリート・ロドリーゲスはこれ以降も、20年間以上さまざまなメンバーと組み、《フリート・ロドリーゲス・トリオ 》の活動を続けています(第2章(Ⅳ)Bのb初レコーディング年代)。しかし1983年にタティーンと組んだこのトリオが、彼の本格的なトリオの実質的な終焉になったことを考えると、《フリート・ロドリーゲス・トリオ 》の最初と最後にタティーン・バレが参加していたことになります。これには何か運命的なものを感じざるを得ません。
タティーン・バレは1962年にフリートと別れて以降、アルコール依存症の回復に努めながら色々なトリオで歌い、ソロでもCDを1枚レコーディングしています。私は彼を、ラテンアメリカ歌謡の世界で、もっと評価されても良いプエロト・リコの音楽家の一人だと固く思っています。私が初めてプエルト・リコに行った1999年には、その数年前にすでに帰らぬ人になっていました。享年は60歳そこそこだったはずです。しかも晩年は糖尿病が悪化したため両足の切断を余儀なくされ、非業の最期と聞きました。彼のロマン溢れる歌を聴くにつけ、思わず両手を合わせたくなるような話です。
Como tengo que partir, te dejo todo mi amor
en este mi último beso.
Me voy para regresar y a mí regreso
tendrás las flores que te ofrecí.
もう行かきゃならないから
これが最後の口づけだよ
僕はすぐ戻ってくるよ
その時は花束を持ってね
Para adornar sus colores
le robaré a la mañana su aurora celestial.
Con los cantos de las aves que aprenderían
mi regreso te cantarle un madrigal.
朝の光が
その花に色を添えるよ
僕の帰りを祝って
鳥たちが歌ってくれるよ
Como voy a regresar cuando tenga que partir.
No quiero verte llorar.
Quiero recordarte así como primero te vi
sin rocío en tu mirar.
Sueña vida mía sueña con mis besos.
Yo tu amor lo llevo siempre aquí en mi pecho.
また会うために行くんだよ
君が泣くのなんか見たくない
初めて会ったときだって
涙なんかなかったよ
僕の口づけでおやすみ
君への愛は永遠だ
9.【素敵な君:Que Linda Eres】「ボレーロ」
この曲の作者ホワーン・ラモーン・バルセイロ(Juan Ramón Balseiro)はラファエール・エルナーンデスと同じ頃、すなわち20世紀の初めから中頃過ぎまで活躍したプエルト・リコでは著名な音楽家です。作曲家としてはボレーロを中心に多くの作品を残しています。この【素敵な君】はメキシコのぺドロ・バルガス(Pedro Vargas)もレコーディングしていますが、私はまだ聴く機会はありません。ですから、古典的なオリジナルバージョンを知らない私には、ロマンティック・ボレーロのはずのこの曲が《フリート・ロドリーゲス・トリオ(A) 》の手にかかると、新鮮で、モダンな曲に聴こえます。実際に、シャローンのレキントのモダンなタッチ、サビの前半 ♪君と出会うまで・・・ ¿Por que has..♪ から ♪君さえよければ・・・ Si tu será..♪ までのフリートのソロと、バレ/シャローンのドゥオとの ’掛け合い二重唱’(後段(Ⅴ)第5集8.【3隻の帆船:Las Tres Carabelas】で詳説)は新鮮でモダンです。
Que linda eres, que linda eres, que linda eres
te lo digo tres veces y mil veces más.
Te he conocido
y mi alma toda se ha conmovido.
Tu serás la alegría de mi corazón.
君はなんて素敵なんだ!
僕は3回でも千回でも言えるよ
君と知り合って以来
僕の心は震えっぱなしだ
君がいてくれるのが嬉しいんだ
¿Por que has tardado tanto
en llegada a mi vida.?
Si tu serás bien tanto
y yo aguardaba instante
que estuvieras bien cerca
para adorarte más.
君と出会うまでにどうして
こんなに時間がかかったんだ?
君がその気になってたら
もっと近くで
愛せるときがあったのに
もっと側で愛せたのに
10.【黒い瞳の娘:La Muchacha De Ojos Negros】「マぺイェー」
本シリーズ2曲目のヒーバロ歌謡「セイス・マぺイェー」です。最初のヒーバロ歌謡【愛しの娘】(前段第2集の9曲目)はフリート・ロドリーゲスの作品でしたが、この【黒い瞳の娘】の作者のバックグラウンドは不明です。作者名の表記もCDにはなく、LPのレーベル上だけですが、ホワーン・V・トレアールバ(Juan V. Torrealba)とへルマーン・F・べローエス(Germán F. Beroes)の二人になっています。二人連盟表記のときは、通常前者の詩に後者が曲をつけていると解釈されます。つまり、作詞はトレアールバ、作曲はベローエスということになります。フリートの作品も含めてボレーロの場合は、作詞作曲は同一人物というのが普通です。《ロス・パンチョス》のヒルとナバーロの作品もそうです。ただ、まれには作詞作曲が別の人物という曲もあります。《ロス・パンチョス》の数ある持ち歌の中で、名曲【愛なくば:Sin Un Amor】がそれです。珍しくも、作詞がチューチョ・ナバーロ、作曲がアルフレード・ヒルの共作になっています。ボレーロ以外のジャンルでは、作詞作曲が別々という例は結構ありますから、このヒーバロ歌謡【黒い瞳の娘】の詩的な歌詞を聴くかぎり、それに間違いないでしょう。原詩は伝統的な「デーシマ」だったかもしれません。‘娘’ という言葉をタイトルに使っているところは、【愛しの娘】と共通していますが、フリートの歌詞が形式にこだわらず自由なのに比べ、この曲の歌詞には形の上でやや ‘こだわり’ が感じられるからです。
ところでフリートは、この曲のアレンジを一工夫することで、独特の趣を醸し出すことに成功しています。それは、タティーン・バレのソロを、歌い出しからたっぷり聴かせていることです。バレのセカンドとしての声色の素晴らしさについては既述のとおりですが、ここでのソロの歌声も聴きどころです。是非ご堪能ください。
例によって鮮やかなマラーカスさばきの音が響きますが、この曲に限り、マエストロ自身が振っているかどうかには疑問が残ります。その理由として、フリートの演奏にしてはやや単調なのと、ソロを取ることに集中しているバレのセカンドギターを、フリートのサードができる限りサポートする必要があったのではないか、と考えるからです。
Solamente dos favores
quisiera pedirle a Dios.
Ser patrón de tus amores,
ser eco de tu voz.
神様にお願いすることは
ただ二つだけ
御慈愛と
お導き
Muchacha de ojos negros,
no puedo vivir sin ti.
Escucha vida mía
llevo una pena en el alma
que quise lentamente
desde del día que te vi.
黒い瞳の娘よ、
君なしでは生きられない
僕の心の痛みを
分かってくれ
君に会ったときから
じわじわ感じている痛みを
Yo no quiero ilusión
es tan solo en la vida.
Yo quiero gozar un minuto
las fieles de la realidad.
Y después de botar mi cariño en el tuyo
hacer como el ave que cruzando,
cantando por la vencida.
・・・・・・・・・
Amor por ti !
自分はこの世で一人ぼっちなんて
思いたくもない
一瞬でもいいから
本当のことをを知りたい
そしたら君への情熱を捨てて
鳥に僕の負けを歌わせ
飛びまわらせるよ
・・・・・・・・・
君の愛を!
11.【盲目的に:Ciegamente】「ボレーロ」
プエルト・リコでは、この曲もフリート・ロドリーゲスの数あるヒット作の中でかなりポピュラーな部類に入ります。15年前頃サン・ホワーンで、この曲を《フリート・ロドリーゲス・トリオ 》以外のトリオの演奏をライブで何度か聴いたときは、アレッ!そんなにポピューラーな曲なんだ!と思ったほどです。歌詞そのものも典型的なフリート・ボレーロらしく、意味深長な内容になっています。
Déjame vivir
con esta venda de amor en los ojos.
Vivir así, confiando a ciegas en tu amor.
Imaginando que en todo pensamiento
y en todo sueño de tu vida estoy presente.
Y que me quieres como yo tan ciegamente,
alma mía.
盲目的に恋に溺れている
こんな僕の命を奪わないで
盲目的に君の愛にすがる
こんな僕の命を奪わないで
君の心や夢に僕がいつもいると
思いながら、君も僕を盲目的に
愛していると期待する僕の命を
No puedo consolarme sabiendo que me espera
una vida entera, sin tu amor,
sin tus caricias incomparables,
inconsolable cada nuevo amanecer.
Sin la luz de tus ojos por sendas de abrojos,
ciegamente cruzaré pensando en ti.
でも、君の愛がない人生が
君の愛がない毎朝が
待っていると分かったからには
僕はもう立ち直れない
君の瞳が照らさない険しい道を
僕は君を想いながら盲目的に歩く
12.【熱狂:フレネシー:Frenesí】「ボレーロ」
ここでこの曲の登場には、本アルバム5曲目の【帰れソレントへ】で感じた違和感こそありませんが、唐突感はあります。作者アルべールト・ドミーンゲス(Albelto Domínguez)は、メキシコ音楽界ではマリンバの演奏グループとして有名だったドミーンゲス兄弟の一人です。その中には作曲家になった者も多く、それぞれ名曲を残しています。3男坊のアルべールトは1913年生まれで、26歳のとき、世界的な大ヒット曲【背信:ペルフィーディア:Perfidia】と、この【フレネシー】を発表し、両曲ともラテン音楽のスタンダードナンバー群の仲間入りをしました。
私も含めて多くのラテン音楽ファンが【ぺルフィーディア】【フレネシー】の両曲を初めて聴いたのは、恐らく《ぺレス・プラード楽団》のマンボか、《ロス・パンチョス》のボレーロではなかったかと思います。特に日本で《ロス・パンチョス》が大衆に知られるようになったのは、この2曲と、【べーサメ・ムーチョ】【キエーレメ・ムーチョ】【テ・キエーロ・ディヒーステ】 【唯一度だけ:ソラメーンテ・ウナ・べス】【緑の瞳:グリーン・アイズ】【アモール、アモール、アモール】など、ポピュラーなメキシコのボレーロを中心に収められたアルバムが、「日本コロンビア」から何枚か発売されてからではないでしょうか。その意味で、我が国に於いてはまさに記念すべき2曲です。上記のボレーロは主にブラジルでレコーディングされましたが、このときのファーストボイスはラウール・ショウ・モレーノです。このレコーディング以後間も無く、ファーストがモレーノからフリート・ロドリーゲスに交代しました。従ってフリートが《ロス・パンチョス》に入団したての頃は、【ぺルフィーディア】と【フレネシー】はスタンダードなラテン歌謡として、テレビなどのライブ演奏で盛んに歌っていたと思います。フリートが【フレネシー】をこのアルバムに入れた理由として、彼自身がこの曲が気に入っていたのと、ファンに対するサービス精神の両方と考えられなくもありません。
(Ⅳ)第4集(Volume Ⅳ)「ロマンティック・ボレーロ集:Más Boleros Románticos」
LP : SALP1306 CD : CD1306
このアルバムのジャケットのデザインもLPとCDでは異なります。タイトルもLPにはなく、CDだけに付いています。ただ、そのタイトル「ロマンティック・ボレーロ集」にしては、「グワラーチャ」はともかく、全く違うジャンルの「パサーへ」と「クリオーリャ」が各1曲づつ入っています。しかもこの2曲も含めて、このアルバムの収録曲のほとんどは、現在ラテンアメリカ諸国でもあまり耳にしません。しかし、それらを聴いてみると、なかなかの名曲揃いで、フリート・ロドリーゲスの意図が良く伝わってきます。そうなると、このアルバムの売り上げが、ほかの4枚のシリーズに比べてどうだったのか、気になるところです。
1.【横になる時間:A La Hora De Acostarte】「ボレーロ」
アルバムの第3集まではフリートの作品を中心に構成されていましたが、本アルバムには3曲目の【お誘い】と、この【横になる時間】の2曲しか収録されてません。しかも2曲とも、彼のボレーロの作風としては、ユニークな部類、つまり分かり易い「純情路線」のラブソングです。このジャンルの曲としては、これまでにも第1集の【夜半の恋 】【愛する君】【7回の口づけ】【初めての口づけ】、第2集の【忘れられない恋】などがありました。
A la hora de acostarte,
después de encomendarte a Dios.
Dedícate a pensar por un instante
en el futuro de nuestro amor.
さあ、もう神様にお祈りして
横になる時間だよ
でも僕たちの愛の行方だけは
いつも頭に入れておいてね
Juzga con piedad mi sacrificio
de abandonarlo todo por estar siempre contigo.
Y si decides que este amor vale la pena,
cierra los ojos, sueña conmigo.
いつも君に寄り添う
僕の努力も認めてね
この恋の大切さが分かったら
目を閉じてお寝み
Yo estaré,
como siempre lo acostumbro vida mía, esperando.
Que se imponga la sentencia del destino.
Y si decides que este amor vale la pena,
cierra los ojos, sueña conmigo.
・・・・・・・・・・・
A la hora de acostarte.
これが定めと思って
いつものように
君を待っているよ
この恋の大切さが分かったら
目を閉じてお寝み
・・・・・・・・・・・
さあ、もう横になる時間だよ
2.【君に捧げた口づけ:El Beso Que Te Di】「パサーヘ:Pasaje」
アルバムの表示にある「パサーヘ(Pasaje)」は、聞きなれないリズム名です。 事実、私の知る限りこのリズムを表示したほかの曲はありません。作者も不明です。しかし、これは紛れもなく第2集の6曲目の「リャネーラ」と同じく、いわゆる「クリオーリャ(Criolla)」、つまり「カンシオーン・クリオーリャ(Canción Criolla):クリオーリョ歌謡」です。「クリオーリョ(Criollo)」という言葉にあたる英語は「クレオール(Creole)」ですが、それにはさまざまな意味があります。しかしこの場合のクリオーリョとは、ラテンアメリカで生まれた、スぺインの侵略者やその後ヨーロッパから移住してきた人々の子孫を意味します。ですから彼らは、その文化は先住民やアフリカ系のものではなく、あくまでヨーロッパの文化を継承していると自負しているのです。クリオーリョ歌謡とは、べネゼーラ、コロンビア、ぺルー、エクアドル、パラグワイ、チリ、アルゼンチンなど、スペイン語圏の国々でクリオーリョが伝承した民族音楽ということになります。ジャンルとしては、第2集6曲目【素敵な小麦色の娘】の「リャネーラ」もそうですが、ほかにもたくさんあります。代表的なリズムとしては、「バンブーコ(Bambuco)」「ホローポ」「パシーリョ(Pasillo)」「バルス」「クエーカ(Cueca)」「ポルカ」などが挙げられます。「パサーヘ」もその一つです。
それでは、フリート・ロドリーゲスの油の乗った歌声と歌唱力、それに合わせながら全くリズムを狂わせることなく振る彼のマラーカスの妙技、タティーン・バレのソロとバランスのとれたコーラス、加えてラファエール・シャローンの独特なレキント奏法と音色などなど、存分にお楽しみください。ここには、前段(Ⅱ)第2集 6.【素敵な小麦色の娘】で紹介したフリート《ロス・パンチョス》の【草原の魂:アルマ・リャネーラ】とは全く違う世界があります。
Si las estrellas que alumbran el mes de abril
en los vivos destellos de tu mirar,
no se puede encontrar
con tu rostro juvenil los pétalos de rosal.
4月の輝く星の下でも
君の強い眼光にあたると
薔薇の花びらのような
初々しい君の姿を見失う
No puedo vivir sin ti
te juré quererte con devoción.
Te besé y aquel beso que te di
se quedó grabado en mi corazón.
君なしでは生きてはいけない
君を心から愛すと誓い
君に捧げた口づけは
僕の心に焼き付いたままだ
3.【お誘い:Invitación】「ボレーロ」
これが本アルバムシリーズ最後のフリート・ロドリーゲスの作品です。5枚シリーズに収められている全60曲の中で彼の作品は17曲ありますが、その最後にこのボレーロ【お誘い】が収められました。これはフリートが意図的に選んだのでしょうか? しかも、1曲目の【横になる時間】と曲想も良く似ています。さらに、この2曲は前述したとおり、第1集の【夜半の恋】【7回の口づけ】【愛する君】【初めての口づけ】、第2集の【忘れられない恋】と並んで、フリート・ボレーロの中では珍しい「素直で微笑ましい、ロマンティック・ボレーロ」のジャンルに属しています。ただ、本第4集の【横になる時間】と【お誘い】に加えて、第1集の【夜半の恋】【愛する君 】【初めての口づけ】の5曲は、ほかの曲に比べ、彼の作品の中では比較的埋もれた存在になっています。このアルバム以外に、テレビなどのライブ演奏でも聴く機会が全くないからです。【海と空】や【カレンダー】などを知っている人にとっては、これらの曲がフリート・ロドリーゲスの歌とは信じ難いかもしれません。
そこで一つの推測をしてみました。本第4集の【横になる時間】【お誘い】と、第2集の【忘れられない恋】、それに、第1集の解説で述べた「全て書き下ろしかどうかは別にして、このアルバムで初めて世に出たもの6曲」の中の【夜半の恋】【愛する君】【初めての口づけ】を合わせた6曲は、フリートのかなり若い頃の、すなわち《ロス・ロマンセーロス》時代かそれ以前の作品ではないか、つまり、このアルバムシリーズで初めて聴くフリートのボレーロは、「すべて彼が新たに作曲したものばかりではない」という推測です。その根拠として上記のように、本アルバムシリーズには《ロス・ロマンセーロス》時代にヒットした【7回の口づけ】によく似た、「初々しい純愛ラブソング」に近いボレーロなどの曲が結構収められているからです。ただし、それらの中には円熟したフリートが、若いころを思い出し、新たに作曲した純愛ラブソングがあるかもしれません。いずれにしても、そんなに難しい作業ではないと思いますので、機会があれば調べてみたいと思っています。ただ、最初に述べたとおり、彼がこの曲をアルバムシリーズ最後の自作曲に選んだ意図が何であったのか、興味は尽きません。
Me levanté de la mesa para invitarte
a bailar conmigo ante todos mis amigos
que presenciaban nuestra primera
escena de amor.
仲間が皆んな見ている前で
僕は立ち上がって君を踊りに
誘ったね、だから彼らは
僕らの恋の最初の目撃者だ
Bailamos bien abrazados,
y al fin pudimos hablarnos.
Tus ojos en mis ojos
bien cerca nuestros labios
sentimos palpitando a un solo corazón.
僕たちはしっかり抱き合い
お喋りもしたね
お互いに見つめ合いながら
お互いの唇を意識して
心臓の鼓動も一つに感じたっけ
Me levanté de la mesa para invitarte
a bailar conmigo.
Para hacerte la promesa de no olvidarte jamás.
Y que iremos por la vida bailando esta melodía
que nunca tendrá final.
今からは君を絶対に忘れないと
誓うために、立ち上がって
踊りに誘ったんだ
この曲で一生踊っていたいと
思いながら誘ったんだ
Bailar y amar, soñar sin despertar
hasta encontrar un nuevo mundo
que solo las almas, que aman cual nosotros,
pueden alcanzar.
新しい世界がみつかるまで
踊って愛して夢を見続けようね
愛する二人だけが行き着ける
新しい世界をめざして
4.【悲しみの僕の街:Mi Calle Triste】「ボレーロ」
このシリーズで初めて、レキント以外の旋律リード楽器、バンドネオーンとピアノが登場します。それもそのはず、作曲者はブエノス・アイレス生まれのアティーリオ・ブルー二(Atilio Brunni)だからです。ただし原曲がタンゴかどうかは確証がありません。というのも、タンゴの曲を色々調べた結果、この【悲しみの僕の街】は見つからなかったことと、作曲者のブルー二自身がボレーロ曲をかなり書いているからです。さらに、彼は長期に亘りプエルト・リコに滞在し、その間ホテルでピアノのソロ演奏をしていました。時期的には1951年頃といいますから、フリート・ロドリーゲスの《ロス・パンチョス》時代と重なります。もしかしたらフリートはブルー二とサン・ホワーンで会っているかもしれません。そうなると、フリートとブルー二の交友も含めて、なぜ彼がこのアルバムに【悲しみの僕の街】を入れたのか想像は膨らみます。ただし原曲がタンゴかどうかは別にして、曲自身はトロピカル歌謡ではありません。歌われる街も、明かるく陽気なサン・ホワーンのようではなく、哀愁に満ちた暗いブエノス・アイレスの裏通りを連想させます。
ここからは余談です。ラテン歌謡の世界では、アルゼンチン・タンゴがボレーロなどに編曲されヒットする例は結構あります。『カリブのラテントリオ』(190頁~191頁)に紹介されているように、その代表的な曲が【最後の杯:La Ultima Copa】です。しかし何といってもその最高峰はエンリーケ・サントス・ディセーポロ(Enrique Santos Dicépolo)作詞、マリアーノ・モーレス(Mariano Mores)作曲の【人は:ウノ:Uno】ではないでしょうか。メキシコやほかの国々でも、これこそラテンアメリカで最もポピュラーな曲だ、という人々が結構いることは確かです。ただ、熱狂的なタンゴファンではないこの私でも、この半世紀の間、国内外でタンゴのライブ演奏を聴く機会が少ならずありました。その際いつも思うことは、【ラ・クンパルシータ:La Cumparcita】とか、同じモーレス作曲の【さらば草原:アディオース・パンパ・ミーア:Adiós Pampa Mía】といった定番曲は毎回ほとんど演奏されますが、なぜか【ウノ】はそれほどでもありません。これはつねづね不思議に思っていることです。しかし【ウノ】の原曲がアルゼンチン・タンゴと知らなくとも、この曲をどこかで聴いて、心に残っているラテン音楽ファンは大勢いらっしゃることでしょう。ラテン音楽が世界中を席巻した1960年~1970年にかけて、この曲をレパートリーに入れていないプロと呼ばれる歌手やグループを探す方が難しかったほどです。フリート・ロドリーゲスも勿論《ロス・トレス・グランデス》時代にレコーディングしていますので、【悲しみの僕の街】に続いて、超ポピュラーなラテン歌謡となったアルゼンチン生まれの名曲【ウノ】の長大な歌詞も紹介しておきます。
Contemplo sin cesar mi calle triste de dolor.
Por si te veo aparecer
mis ojos mueren al mirar y no te ven.
La nube de tu adiós no volverán jamás.
僕は悲しみに満ちた街を
いつも観ている
僕は視覚を失い君が見えない
去って行った雲は戻らない
Tu nombre me lo gritan sin finar
adonde voy las ramas tristes del perdón.
Camino sólo bulevar de soledad,
que me dejó tu amor sin ti muriendo estoy.
君に許しを請う声は
何処へ行こうとつきまとう
路はただの寂しい土の塊
君がいなければ死ぬしかない
Quiero vivir y no puedo sin ti.
Es más fuerte tu amor que me lleva sufrir.
君なしでは生きる望みもなく
愛がつのるほど僕は苦しい
Quiero olvidar y no puedo mi bien.
Siento ansias de ti pena de mí.
Mi noche de dolor es te ronde soledad,
que me separa de tu amor.
La gran comedia de los dos finalizó
sin público quedó, ni tu ni yo.
忘れたいけど、それもできない
君への想いは僕の苦しみ
苦しみの夜には孤独が巡り
君の愛を僕から遠ざける
二人だけの喜劇は終わった
ひっそりと二人だけで
Uno busca lleno de esperanzas
el camino que los sueños
prometieron a sus ansias ;
sabe que la lucha es cruel y es mucha,
pero lucha y se desangra
por la fe que lo empecina.
人は期待を込めて
不安に応えてくれるような
夢を探し求めている
人は過酷な苦悩に
苛まれながら葛藤し
かたくなに信念を貫き通す
Uno va arrastrándose entre espinas
y en su afán de dar su amor
sufre y se destroza hasta entender
que uno sea quedado sin corazón.
Precio de castigo que uno entrega
por un beso que no llega un amor que lo engañó,
vacío ya de amar y de llorar tanta traición.
Si yo tuviera el corazón, el corazón que di.
si yo pudiera como ayer querer sin presentir.
Es posible que a tus ojos, que me gritan
su cariño, los cerrara con mis besos
sin pensar que eran como esos
otros ojos los perverso
los que hundieron mi vivir.
人は愛することえの
不安と欲望を引きずりながら
心などあてにならないことが
分かるまで悩み苦しむ
それは偽りの愛の証に
口づけをした罰の代償
空虚な愛と偽りの涙
君に捧げた心が僕にあれば
君に捧げたあの愛があれば
君の燃えるような瞳を
僕の口づけで閉じてみせる
僕の人生に深く突き刺ささる
その瞳が不吉なことも
気にかけず
Si yo tuviera el corazón, el mismo que perdí,
si olvidara aquel que ayer lo destrozó
y pudiera amarte, me abrazaría a tu ilusión
para llorar tu amor.
僕の失くした心が戻っても
その失くした心は忘れて
君を愛せるし
その夢に泣くほど浸れるだろう
Pero Dios te trajo a mi camino
sin pensar que era muy tarde
y no sabré como quererte.
Déjame que llore como aquel
que sufre en vida la tortura
de llorar su propia muerte.
でも神様は僕の愛を確かめずに
君を僕に戻してくれた
それが遅すぎたことも考えずに
君の死に直面することがあれば
僕は死ぬほど苦しい
そう思うと涙が止まらない
Buena como eres habrías
mi esperanza con tu amor.
Uno está tan sólo en su dolor
uno está tan ciego en su pensar.
君の愛が僕の希望
それは素晴らしい
苦しみはその人のもの
想いもその人のもの
Pero un frío cruel que es peor
que odio, punto muerto de las almas,
tumba horrenda de mi amor,
maldijo para siempre y me robó toda ilusión.
でも冷酷な仕打ちは
憎しみよりも魂を凍らせる
恐ろしい愛の墓場、永遠の呪い
それは僕から夢を奪っていった
5.【神様の贈り物:Un Regalo De dios】「ボレーロ」
本アルバムシリーズで登場する唯一のボビー・カポーの作品です。ボビー・カポーとはは芸名で、本名はフェリークス・マヌエール・ロドリーゲス・カポー(Felix Manuel Rodrígues Capó)といいます。彼は歌手として有名ですが、作曲家としても数多くの名作を残しています。自称5000曲、一般的には2000曲以上作曲したといわれていますが、中でも【シナモン色の肌:Piel Canela】が飛び抜けて有名で、歌詞の中に「お前:Tú」という言葉が40回出てくることで話題になりました。他にも、《ロス・トレス・レイエス》が歌ってヒットした【三角関係:Trianglo】や【プエルト・リコの新婚旅行:Luna De Miel En Puerto Rico】などが有名です。カポーは、歌手兼作曲家としてプエルト・リコではフリート・ロドリーゲスとしばしば比べられます。しかし、実際は全く別の音楽の道を歩んでいました。すなわちフリートがトリオ一筋の歌手として生涯音楽活動を続けたのに対し、カポーはデビュー当時こそラファエール・エルナーンデスの《グルーポ・ビクトーリア(Grupo Victoria)》の一員として歌っていましが、頭角を現したのはソロ歌手となってからのことで、ペドロ・マルカーノ(Pedro Marcano)やクラーウディオ・フェレールなどプエルト・リコの著名な演奏家の後押しもあって、ニューヨークを舞台に活躍しました。また一時、前出のパナマーの作曲家アルトゥーロ・アサンに誘われ同国に長期滞在、人気者になったりもしています。晩年は二ューヨークに定住し、音楽以外の仕事にも従事しながら、67歳の生涯を終えました。二人の生まれた年はほぼ同じで、フリートが1925年、ボビーが1922年です。
『カリブのラテントリオ』(103頁)には、1947年フリートの率いる《ロス・ロマンセーロス》がボビーと共演したときのエピソードが書かれています。さらに104頁の脚注(*9)にはそのときの興味ある話が紹介されています。当時フリートは22歳、ボビーは25歳、二人の差は僅か3歳のはずです。しかし『カリブのラテントリオ』を読む限り、その頃の歌謡界における二人の地位に格段の差があったことがわかります。つまり、ボビー・カポーは既に押しも押されぬ大歌手だったということです。これはラテン音楽界において、いわゆる ‘玄人好み’ のトリオの地味な人気と、華やかなスポットを浴びるソロ歌手の熱狂的な人気との格差を象徴しているような話だと思います。それと、歌詞を含めた彼の作品が ‘シンプルで分かりやすい’ のも彼の人気につながっているのかもしれません。
Por qué quiero saber por qué que
hacen sufrir tan solo por quererme.
Sí amaras, sí es regalo de dios.
僕を愛したために、それほど
君が苦しむわけを知りたい
君の愛は神様の贈り物なのに
Bendición al amor que sentimos.
Yo que vivía sin fe considero
tu amor un regalo de Dios.
信仰心のなかった僕には
僕たちの恋は神の恵みだ
君の愛は神様の贈り物
Y no cambies tu felicidad por nada ni nadie
que en la vida todo no ha de ser llorar.
Sí amaras, sí es regalo de Dios.
君の幸せは絶対に変わらない
人生で泣くようなこともない
君の愛は神様の贈り物
Bendición al amor que sentimos.
Yo que vivía sin fe considero
tu amor un regalo de Dios.
信仰心のなかった僕には
僕たちの恋は神の恵みだ
君の愛は神様の贈り物
6.【お互いの我儘:Mutuo Egoísmo】「ボレーロ」
これも綺麗なボレーロです。作者のへルマーン・ルーゴについては、本アルバムシリーズ第2集の1曲目に収録されている彼の代表作の一つ【もっとお泣き】で紹介してありますのでご確認願うとして、一つ付け加えさせていただきます。彼の出世作【お任せ:Entrega】はプエルト・リコだけでなくメキシコでもヒットし、ミゲール・メヒーア(Miguel Mejía)やハビエール・ソリース(Javier Solís)など多くの人気歌手やグループに採り上げられました。しかし彼の作品は何と言っても、プエルト・リコの代表的トリオの一つ《トリオ・デ・レイ・アローヨ(Rey Arroyo Y Su Trío) 》とは切り離せられません。そもそも【お任せ】は1954年にルーゴがこのトリオに提供し、『アンソー二ア』でレコーディングされ発売されたものです(『ANSONIA- CD1252』)。このアルバムには有名な【進退極まって:Entre Pared Y La Espada】も入っています。ただし彼らはこの【お互いの我儘】を吹き込んでいません。フリート・ロドリーゲスは例によって著名な作曲家の隠れた名曲を紹介していることになります。《レイ・アローヨ・トリオ 》については、日本であまり知られていないのが残念です。ご興味のある方は、『カリブのラテントリオ』(276頁)「第6章フ二オール・ゴンサーレスと《トリオ・デ・レイ・アローヨ 》」の項で詳述されていますので、ご一読ください。
Es posible que esto
que me aburre sea el pesimismo.
Pues las ganas que tengo de verte
me quieren ahogar.
Cada vez que menciono
tu nombre sucede lo mismo.
Tal parece que nunca en la vida
vas a regresar jamás.
今の僕の気持ちは
悲観的すぎるかもしれない
君に会いたくて
たまらないくせに
君の名前を口にすると
いつも同じ気分になる
君はもう一生
戻ってこないような気分に
En tus cartas me dices
que vuelves con talón ti mismo.
Y haz seguras que sabes
la pena que causa esperar
que un amor como el nuestro
que vive del mutuo egoísmo,
ni la ausencia, la muerte,
ni nadie lo puede matar.
戻る時は勝手に戻ると
君の手紙に書いてある
僕たちのようにお互い
我儘な生き方をしながらの愛は
苦しいだけだと
書いてある
誰にも、お互いの我儘は直せない
別離や死さえも
7. 【教会に行く娘:Cuando Vayas A La Iglesia】「ボレーロ」
このアルバムシリーズにおける4曲目のラファエール・エルナーンデスの作品です。前述のように、フリート・ロドリーゲスは著名な作曲家の隠れた名曲を紹介することに務めていたようですが、この5枚シリーズでは特にその志向が顕著に表れています。それはともかく、この「愛/恋」を歌ったロマンティックなボレーロと、あのシュールな【ラメント・ボリンカーノ】が同じ人の作品であることに、あらためて感服させられます。このように、「愛/恋の歌」と「愛国/ふるさと歌謡」の二つのジャンルをはっきり作り分ける作風を、師弟関係にあるフリート・ロドリーゲスが忠実に受け継がれていることは第2章(Ⅳ)のA「愛/恋の歌」と「愛国/ふるさと歌謡」で述べたとおりです。
マエストロ・エルナーンデスの曲はラテン音楽界ばかりか、あらゆる演奏ジャンルを超えて世界中で演奏されています。しかし、約2000曲といわれる彼の作品のうち、我々が聴いたことがある曲はそれのせいぜい1割、200曲くらいではないでしょうか。つまり残りの 1800曲以上は隠れた名曲になります。フリート・ロドリーゲスが本シリーズで採り上げている曲は、【夜明けだ!:Amanece】(第3章(Ⅰ)第1集3.)を除いて、すべてこの類の曲だと思います。勿論、熱烈なエルナーンデスファンの方々にとっては異論があるところでしょうが、これはあくまで一般的なラテン音楽の話としてご理解ください。
Cuando vayas a la iglesia
con tu velo y tu rosario,
pide siempre que lo nuestro
siga siendo tan sagrado.
君がべールを纏い、十字架を手にして
教会に行ったら、神様に
僕たちの恋をいつまでも
お護りくださるようお願いしてくれ
Cuando a Dios tu le confieses
que me quieres con locura,
dile que este amor florece
donde no es si se amargura.
僕への狂おしい愛を
告白するなら
この恋が苦しみのない所で
花咲くことをお願いしてくれ
Es más grande que el espacio
y más profundo que el mar
y no hay nada en el ocaso
que nos puede separar.
Ni siquiera la distancia
ni el destino lograrán
que se aparte de mi mente
tu figura angelical.
僕らの愛は宇宙よりも広く
海よりも深い
二人を引き裂くものは
なにもない
どんなに離れていても
君の天使のような面影が
僕の頭から消えるなんて
ありえない
Cuando yo voy a la iglesia,
no me olvido de rezar
y pedir que tú me quieras
cada día mucho más.
僕が教会に行くなら
君がもっと僕を
愛してくれるよう
まっさきに祈るよ
8. 【君が知らないこと:Lo Que Tú No Sabes】「クリオーリャ」
この曲の作者ホルへ・リブレ(Jorge Llibre)の出身国や、そのほかについては残念ながらわかりません。しかしリズムの表記と曲想から判断すれば、エクアドルかコロンビアの曲の可能性が高いと思います。つまりクリオーリョ歌謡というわけです。クリオーリョ歌謡については、すでに本アルバムの2曲目【君に捧げた口づけ】で概説しましたのでご再読ください。
Lo que tú no sabes
es la amarga pena.
Que al verle distante
siento en mi brotar
Pudimos ser tanto y no somos nada.
Nuestras esperanzas se murieron ya.
君はつらい苦しみを
味わったことがない
君が遠ざかって行くのを
僕は感じ始めている
僕らの仲は終わりだろう
僕らの希望はもう消えたんだ
En la copa breve de nuestro cariño
había un solo sorbo y era de los dos.
Pero la inconciencia de nuestro egoísmo
rompió los cristales, mató la ilusión
y en nuestro destino tan solo quedó.
Era ansia de un vino que se nos perdió.
僕らの情熱の器の中身は
二人合わせてもほとんど残っていない
しかも僕らの我儘のせいで器は砕け
こぼれ出たワインの雫のように
希望は消えた
残されたのは二人の運命だけ
9. 【素敵なアカプルコ:Qué Lindo Acapulco】「グワラーチャ」
前曲【君が知らないこと】の、やや暗い感じのクリオーリョ音楽から一転、底抜けに明るいグワラーチャの曲です。ただし、この曲の作者マリオ・ローぺス・アガールテ(Mario López Agarte)についても資料がありません。曲の内容からみて、メキシコかスぺインの人ではないかと推測します。それにしても、たしかな実力に裏打ちされた底抜けに明るいラファエール・シャローンのレキント、ワンコーラスの終わりとエンディングに入る3人のマリアッチ風コーラスは聴いていてウキウキします。また、間奏に流れるマリアッチの定番曲【メキシカン・ハット・ダンス:ハラーべ・タパティーオ:Jarabe Tapatío】をアレンジしたシャローンの軽快なアドリブも楽しいかぎりです。
アカプルコといえば、1950年代から60年代にかけて太平洋岸にあるメキシコ唯一の国際的リゾート地として栄えました。この曲もその頃の情景を歌ったものです。しかし1970年に入り、アカプルコの治安が悪化するにつれ、カリブ界に面した新興リゾート観光地「カンクーン(Cancún)」にその座を奪われています。カンクーンに人気が集まる理由は、そこがアカプルコのような単なるリゾート地ではないということです。マヤ遺跡に近いとか、キューバ行きに便利な乗り継ぎ空港のある「メリダ(Mérida)」の街と隣接している、といったさまざまな理由があるからですが、我々ラテン音楽ファンにとって有り難いのは、なんといっても「ユカタン歌謡(Canción Yucateca)」の聖地でもあるメリダに、車で2時間足らずで行けることです。ユカタン歌謡の聖地で、流しの老人が歌う素朴な【マヤブの旅人:Caminante Del Mayab】を聴くのも悪くありません。
Para Acapulco quiero llevarte
para que sepas lo que es gozar.
Quiero bajarte las estrellitas,
después besarte bajo un palmar.
君をアカプルコに連れて行き
楽しさを味合わせたい
君を満天の星で包み
椰子の木の下で口づけをしたい
Luego llevarte hasta la roqueta
donde la gente nos deje en paz
donde yo pueda hacerte mi reina
donde no pienses en nadie más.
それから二人だけの
場所をさがして
誰も近づけない君を
女王様にしてあげる
Ven Acapulco, todos los novios
quieren pasar su luna de miel.
Yo no me explico porque nosotros
no hemos que hacerlo mismo también.
皆んなハネムーンで
アカプルコへ
行きたがるよね
僕らも行かなきゃ!
En una noche de luna llena
bajo la brisa tibia sensual
correr en descalzos sobre la arena
y recoger conchitas del mar.
そよ風が心地良い
満月の夜
砂浜を裸足で駆け回り
貝殻を拾おう
Cuando tus ojos me estén mirando
y los mariachis oigas cantar.
Estoy seguro que ir a Acapulco
toda tu vida querrás estar.
Que lindo Acapulco vamonos
para bailar pachanga del amor.
君が僕を見つめれば
マリアッチの歌が聞こえる
アカプルコに行けば
心が躍るよ
愛のダンスを踊りに
さあ、素敵なアカプルコへ行こう!
Si vienes, vivida te daré
pedazo, pedazo, el corazón.
Ay, Ay, Ay, Ay,・・・amor.
Que lindo Acapulco vamonos.
Ay,Ay,Ay,Ay,・・・amor.
どんなに楽しいことが待ってるか
愛する君よ
さあ、行こう
素敵なアカプルコへ
恋人よ、さあ、行こう!
10.【そのままの愛:Tu Amor Existe】「ボレーロ」
この曲もフリート・ロドリーゲスが紹介する ‘隠れた名曲’ の一つです。アルバム第3集 10曲目【黒い瞳の娘】と同様、珍しくタティーン・バレが長いソロを歌い、プエルト・リコはもとより、ラテントリオのどのセカンドも持たない、何とも言えない良い味を醸し出しています。作者の ルーシド・ロドールフォ・クルース・コントゥレーラス(Lúcido Rodolfo Cruz Contreras)はプエルト・リコ出身の作曲家であることは分かっていますが、詳しいバックグランドは不明です。ただ、近年まで存命だったようなので、フリートとは、そんなに違わない世代の音楽家だったと思います。将来機会があれば調べてみるつもりです。
Todos me dicen que no
que no suspiré por la ilusión
que me da tu amor incierto.
僕が君の愛に不安を感じて
ため息なんかつかないだろうと
皆んな噂をしている
Todos me dicen que no
y no los quiero oir.
Yo no los quiero escuchar.
Tu amor existe.
僕がそんな話は聞きたがらないと
皆んな噂をしている
君の愛は変わらないのに
僕だってそんな話は聞きたくない
Tu amor existe dentro de mí
dentro de mi alma.
Florece puro en mi corazón
florece puro.
君の愛は僕の心の中で
そのままだ
僕の心の中では
清らかな愛の花が咲いている
11.【明日は:Mañana】「ボレーロ」
5枚組シリーズに採り上げられているラファエール・エルナーンデス最後の曲になりました。プエルト・リコ音楽界の先駆者であり、プエルト・リコの音楽をメキシコやキューバと並んで世界的にメジャーな存在に引き上げた、偉大なる貢献者マエストロ・エルナーンデスの楽暦/伝記に関しては、多くの資料や著作が残されています。『カリブのラテントリオ』でも著者パブロ・オルティース氏は冒頭17頁から10頁に亘って詳しく記述していますので、是非ご一読ください。なお、曲中ラファエール・シャローンは、マエストロに敬意を表すかのように、名曲【水晶の鐘:Campanitas De Cristal】のサビの一節を間奏に入れてます。
ところで、今私の机の上に1冊の小冊子があります。これは先年サン・ホワーンにある「プエルト・リコ・アメリカ友好大学(Universidad Interamericana de Puerto Rico)」の構内にある「ラファエール・エルナーンデス記念博物館」を訪れた際、館長でマエストロ・エルナーンデスの御子息アレハンドロ “チャリー” エルナーンデス(Alejandro “Chalí” Hernández)さんからいただいた物です。タイトルは『作曲家の伝記 1891- 1965(APUNTES BIOGRAFICOS DEL COMPOSITOR 1891- 1965)』となっています。表紙は ‘中折れ帽子’ を小粋に冠った若き日のマエストロの顔写真です。
彼の写真はLPやCDのジャケットなどで数多く紹介されていますが、この1枚はそれらと違う貴重なものだと思います。この博物館のコンセプトは、マエストロの遺族の希望により、彼の自筆楽譜や楽器を展示しながら功績を紹介するのが目的のようです。実際に館内には代表作【ラメント・ボリンカーノ】のオリジナル楽譜(そこに書かれている原曲は、現在一般に演奏されている【ラメント・ボリンカーノ】よりもはるかに長大な曲であった事実に驚かされます)や、愛用のピアノ、ギター、マエストロが幼少時代のアレハンドロさんらと撮った家族団欒の写真など、興味がつきない展示物がたくさんありました。小冊子の内容を簡単に紹介しておきます。
1.1891年10月24日から、亡くなった1965年12月11日までのドン・ラファエールの伝記と楽歴の詳細な記録。【ラメント・ボリンカーノ】のオリジナルSP盤の展示。
2.マエストロに関する九つのプチ情報:
◎総作品数2,000曲以上、内未発表300曲以上。
◎手がけた曲のジャンルは、グワラーチャ、ボレーロ、ルンバなど多岐に亘り、その数約15。ほかにもピアノ曲、交響曲、サルスエーラ(喜歌劇)、オぺラなどのクラシック音楽の分野にも及ぶ。
◎イギリスのロンドン塔の鐘に【水晶の鐘】のメロディーが採用されたことがある。
◎【エル・クンバンチェーロ】が世界中でレコーディングされた件数は50以上。
◎自作のボレーロの中でマエストロの一番のお気に入りは、【君は分かっていない:Tú No Comprendes】、「愛国/ふるさと歌謡」では【ラメント・ボリンカーノ】。
◎メキシコの巨匠アグスティン・ララが、ある時「ボレーロについて一言」という質問に、「ボレーロを知りたければ【水晶の鐘】を聴きなさい」と答えた。などなど。
3.同大学哲学科客員教授でエルナーンデスの研究家トマース・ヒメーネス(Tomás Jiménez)教授の寄稿文『ラファエール・エルナーンデスの ‘ラメント’ によせて(A LA HISTORIA EL LAMENTO DE RAFAEL HERNANDEZ)』
概容:ヒメーネス教授は、名曲【ラメント・ボリンカーノ】を、ドン・ラファエールがヒーバロの心そのものを謳った曲であるとし、歌詞を紹介しながら、それを丁寧に分析しています。教授によれば、ヒーバロの人々は貧富を超越して、世俗的な欲望や物欲とは縁のない生き方をしながら、プエルト・リコの大地にしっかり根付いた ‘忘れられた人々(El Hombre Olvidado)’ であると論じ、ドン・ラファエールがここまで正確にヒーバロの心を表現できたのは、彼自身がヒーバロそのものであったからだ、と結論づけています。
4.【ラメント・ボリンカーノ】から【キスケーヤ:ドミ二カ共和国:Quisqueya】までのラファエール・エルナーンデスの代表作31曲の ‘さわり’の部分の歌詞掲載。
それにしても、マエストロ・エルナーンデスが自ら謳っているようなヒーバロ歌謡【ラメント・ボリンカーノ】を、フリートがこの野心的5枚組アルバムで歌っていないのはなぜでしょうか? 明らかに意図的だと思いますが、今となっては永遠のナゾです。とはいえ、タティーン・バレが辞めた後フ二オール・ナサリオが加わったトリオの12枚のアルバムの最後ではレコーディングをしています。その演奏は平凡で、特に感動を与えるものではありません。深読みをすれば、フリートはドン・ラファエールとは異なり、ヒーバロとは全くの別世界で生まれ育ちました。彼自身ヒーバロをテーマにした曲を多数書いてはいますが、ヒーバロの生き方を心底理解できていたわけではないでしょう。これは勝手な想像ですが、フリートにとって【ラメント・ボリンカーノ】の世界は、手の届かない所だったのかもしれません。
Las campanas del dolor
te dirán adiós, amor.
恋人よ、悲しみの鐘が
別れを告げる時が来た
Mañana no tendrás que lamentar
ni quejarte ni llorar,
porque ya no serás mía.
Mañana las campanas del dolor
te dirán adiós, amor, adiós mi vida.
君はもう僕のものじゃないから
明日になれば君は嘆き悲しみ
涙を流すこともないだろう
恋人よ、明日は悲しみの鐘が
別れを告げるだろう
Mañana como no te tengo aquí
como sé que te perdí
que ya mi sueño se esfumó.
Mañana no tendré una amanecer
porque el sol de mí querer
se esfumó para nunca más volver
明日は君がいなくなり
君を失う日だ
僕の夢は消えた
明日の朝はないだろう
愛の光が消えたから
朝日はもう差し込まない
12. 【僕は待てるよ:Que Puedo Esperar De Ti】「ボレーロ」
いよいよアルバム第4集最後の曲になりました。‘いよいよ’ というのにはわけがあります。前にも触れましたが、本アルバム5枚組シリーズの第4集までの48曲は、最初から個々のアルバム用に選ばれ、レコーディングされたものではありません。つまり、アルバムごとにフリート・ロドリーゲスとプロデューサーのラルフ・ぺレス氏が相談して中身を決めていたようです。しかし次の第5集は、娘婿のエルマーン・グラース氏が単独で制作し、全曲一括録音されたアルバムで、コンセプトもガラリと変わりました。どのように変わったかは、次項(Ⅴ)第5集で述べることにして、フリートの ‘想い’ が強く反映されているのは、この第4集までということになります。ところが意外なことに、《ロス・パンチョス》を退団した時のフリートの ‘想い’ が一杯つまっているはずの、この最後のアルバムのラストナンバーが、プエルト・リコの曲ではなく、アルゼンチン出身作家のボレーロなのです。これはどういうことなのでしょうか? 例によって勝手な想像をしてみました。
この曲の作者は、本第4集の4曲目【悲しみの僕の街】と同じアルゼンチン出身のアティーリオ・ブルー二です。しかし前曲と違って、この【僕は待てるよ】は、歌詞の韻の踏み方や長さから見ても完璧なボレーロになっています。この曲がプエルト・リコのボレーロと言われても違和感がないほどです。演奏もバンドネオーンやピアノを入れない正統的なもので、フリートは恐らくサン・ホワーンのホテルで、ブルー二が演奏するこのボレーロ聴き、躊躇なくレパートリーに入れたのでしょう。そう考えれば納得がいきます。皆様はどう感じられますか?
Que puedo esperar de ti
si todo lo has vendido.
Que puedo esperar de ti
si no tienes corazón.
君が総てを捨てるなら
僕は君を待てるよ
君がほかに恋人がいなければ
僕は待てるよ
Te di lo que te pudo dar
un alma que ha vivido en
busca de otro corazón
para poder jamás.
君が今まで恋人を
探してきたようなことは
もう二度と起きないように
償ってあげるよ
Sé muy bien que tendrás
a tu lado caricias pagadas
que otro amor le dieras como a mí.
Tuyo es mí corazón.
Mentir y tan solo mentir
tu profesión nacido
en mil brazos rodarás
y en tu cuerpo quedará
cansancio y nada más.
君が僕に見せた情熱を
ほかの恋人にも与えることは
わかっているよ
でも君は僕の総てだよ
君は生れつきの
嘘つきなんだ
この先何人もの腕に抱かれるは
知れないけど
それは全くの徒労に終わるだろうね
(Ⅴ)第5集(Volume Ⅴ)「懐かしのメロディー:Cantan El Ayer」
LP : SALP1318 CD : CD1318
シリーズ最後のアルバムのコンセプトが、第4集までとガラリと違うことは前述しました。その変わり方ですが、アルバムのタイトルが示すとおり、いわば「懐メロ特集」になっています。本シリーズが制作された1950年〜60年から見ての「懐メロ曲」です。それもプエルト・リコだけの「懐メロ」ではありません。3年ほど前にお会いした、トリオのオリジナルメンバーでただ一人存命の、マエストロ・ラファエール・シャローンによれば、「第5集はそれまでと違って、インターナショナルなアルバムだ」ということになります。つまり、スぺイン語圏の国の歌でヒットした、超ポピュラー曲ばかりを集めたアルバムということです。この異色のアルバムが生まれた背景に、プロデュサーの交代があることは今更言うまでもありません。前にも述べましたが、第4集まではラルフ・ぺレス氏主導のもと娘婿のエルマーン・グラース氏がサポートして作られてきました。この5枚のシリーズも、元はと言えば、ぺレス氏が第1集を世に送り出したことから始まったのは周知の事実です。勿論それは、フリート・ロドリーゲスの熱い想いがあってこその結果でした。その流れで、とうとう第4集まで発売され広い支持を受けました。この時点でフリートは、自分の ‘想い’ はもう十分に主張できたと考えていたのかもしれません。そこで、単独プロデューサーとなったエルマーン・グラース氏の登場です。オリジナルアルバムのLPには表記されていませんが、CDにはエルマーン・グラース氏の名前が明記されています。グラース氏は、このシリーズもそろそろ潮時と考えたのかどうか定かではありませんが、1枚くらい ‘サービス版’ を作るのも悪くない、と思ったのではないでしょうか。当然この企画にはフリートの同意が不可欠です。そこでフリートに持ちかけたところ、自分の音楽が実現できた達成感を感じていたフリートが賛同した、と思われて仕方ないのです。ただし演奏に手抜きはありません。アレンジも1曲1曲丁寧に仕上げています。
さて、マエストロ・シャローンのいう第5集の「国際性」です。全12曲の生まれ故郷は、メキシコ5、キューバ5、プエルト・リコ1、スぺイン1、となっています。これをみると、コロンビア、ペルー、エクアドル、パラグワイ、ボリービア、チリ、アルゼンティン、ブラジルなどのラテンアメリカ諸国の曲は入っておらず、正直なところ「国際性」が豊かな選曲とはいえません。まあ、カリブ世界を中心に超ポピュラーな曲を集めた、といったところなのでしょう。その割には、我々日本のラテン音楽ファンにとって馴染みのない曲が2曲ほど入っているようです。それにしても【恋に生きて:Amar Y Vivir】と【我が懐かしのサン・ホワーン:En Mi Viejo San Juan】が同居するアルバムは珍しいのではないでしょうか。なお歌詞の紹介ですが、超ポピュラーな曲は割愛しました。
1.【背信:ぺルフィーディア:Perfidia】「ボレーロ」
第3集の最終曲に収められている【フレネシー】と同じメキシコのアルべールト・ドミーンゲスの作品です。この2曲は1940年代初めに発表され、ウルトラヒットしたことはラテン音楽史の中でも特筆すべきことでしょう。第4集の11曲目【明日は】の解説で、「ラファエール・エルナーンデス記念博物館」のパンフレットの紹介をしました。その2。マエストロに関する九つのプチ情報5番目の◎で、「自作のボレーロの中でマエストロの一番のお気に入りは、【君は分かっていない】」という記載があったのをご記憶かと思います。実は1940年の初めに、メキシコで同名の映画の撮影が行われていましたが、ドミーンゲスの【フレネシー】の大ヒットのおかげで映画の題名が【君は分かっていない】から【フレネシー】に変更になった、というエピソードが残っています。
少々脱線します。このアルバムに収録されている曲の中で、【ぺルフィーディア】【アモール、アモール、アモール】【緑の瞳】【唯一度だけ】の4曲は、いずれも私がラテン音楽にハマるキッカケとなった、《トリオ・ロス・パンチョス》のアルバムに入っていたことは前述しました。しかし、このLPにはヒルやナバーロの作品は一つもなく、今から思えば《ロス・パンチョス》歌謡の本線から外れた、いわば ‘つなぎ’ のようなアルバムだったのです。これらの曲は全てスタンダードナンバーとはいえ、この《ロス・パンチョス》のレコーディングが行われた1951年からみれば、すでに「懐メロ」のジャンルに入っていました。いいかえれば、《ロス・パンチョス》の第1期黄金時代(エルナーンド・アビレース)、第2期黄金時代(フリート・ロドリーゲス)から見て、遥か前の古典的なボレーロばかりだったわけです。フリート・ロドリーゲスは第5集のアルバムの中で、これら「超懐メロソング」をどうアレンジするか、相当苦労したと思います。特に 《ロス・パンチョス》の ‘つなぎ’ のレコーディングとはいえ、絶頂期の天才レキント・ヒルの繰り出すイントロの素晴らしさには素直に脱帽していたはずです。そこで、この《フリート・ロドリーゲス・トリオ(A)》の【ぺルフィーディア】をあらためて聴いてみると、フリートの苦心の跡が伝わってくるような気がします。シリーズ第3集の最後に入っている、同じアルベルト・ドミーンゲスの.【フレネシー】とは異なり、ピアノをイントロに使って全体的にリードさせ、3人共フレーズをしっとりと丁寧に歌い、レトロな雰囲気を醸し出しているからです。
2. 【掘っ建て小屋、我が愛の巣:Amor En Mi Bohío】「グワヒーラ」
キューバ生まれのこの曲の作者フーリオ・ブリートについては、第2集の4曲目【迷い子の君】の項で少し触れました。この【掘っ建て小屋の恋】は彼の代表曲とされ、1937年に大ヒットしました。プエルト・リコでも多くの歌手/グループがレパートに入れています。この演奏の聴きどころは、ラファエール・シャローンが間奏で弾くキューバの国民楽器トレス風のレキントの音色です。原曲のキューバの味を出すためだと思いますが、なにかメタル弦の様な音が響き、普段のレキントの音色と明らかに違う様な気がします。このアルバムでは異例な賑々しいパーカッションに加え、気持ち良さそうにソロをとるタティーンの歌声を聴いていると、皆んなこの素朴で甘い恋歌を楽しんでいるようです。なお、題名の「掘っ建て小屋(ボイーオ:Bohio)」ですが、プエルト・リコでは同じ「掘っ建て小屋」を表す言葉として、「カバーニャ(Cabaña)」の方が通常使われるようです。米語にも、「カバーナ(Cabana)」と呼ばれる、日除け用や更衣用として、海岸やプールサイドで使われるテントもしくはテント小屋があります。この「カバーナ」という単語は、スペイン語の「カバーニャ」に由来するものでしょうか。
Valle plateado de luna,
sendero de mis amores;
quiero ofrendarle a las flores
el canto de mi montuno.
銀色の月に照らされた
愛の小道
そこに咲く花々に
俺の歌を聴かせよう
Es mi vivir
una linda guajirita,
la cosita más bonita trigueña
俺には、とっても大切な
小麦色した素敵な
彼女がいるんだ
Es todo amor
lo que reina en mi bohío,
donde la quietud del rio
se sueña.
俺の掘っ建て小屋の中は
愛に溢れていて
そこは夢のような世界
俺のやすらぎの場だ
Y al brotar la aurora
sus lindos colores,
matiza de encanto
mi nido de amores.
朝日が差し込めば
二人の愛の住みかに
美しい色どりが
添えられる
Y al desperta
a mi linda guajirita,
doy un beso en su boquita
que adoro.
彼女を起こすときは
可愛い口に
口づけをして
愛を囁く
De nuevo el sol
me recuerda que ya el día
en su plena lozanía, reclama.
新鮮な日の光が
新らたな日の
始まりを告げる
Luego se ve
a lo lejos el bohío,
y una manita blanca
que me dice adiós.
やがて出かける時には
向こうの小屋から
俺を見送る
可愛い手が見える
3. 【アモール、アモール、アモール:Amor, Amor, Amor】「ボレーロ」
まさに「懐メロ」です。この曲を《ロス・パンチョス》で初めて聴いたとき、グエーロ・ヒルの弾くイントロは曲の一部だと思いました。それほどこのイントロのインパクトは強烈で、曲本体よりも耳に残りました。それ以降私の心の中でこの曲は、ヒルのイントロとワンセットになっています。曲のメロディーも歌詞も分かり易く、すぐ覚えました。そのわりにはほかの人々、特に名だたるトリオのカバー演奏はあまり聴かれません。プエルト・リコでは、パポ・バリェ(Papo Valle)の《トリオ・ボリーンケン》が《ロス・パンチョス》のコピーをしている程度です。フリート・ロドリーゲスが敢えてこの曲を選んだ理由は、古巣《ロス・パンチョス》に敬意を表する気持ちからだったのでしょうか。しかし演奏は《ロス・パンチョス》のコピーではありません。1曲目の【ぺルフィーディア】と同じようにピアノを効果的に使い、転調したり、テンポを変えたりと《ロス・パンチョス》とは一味違ったフィーリングを出しています。フリートの ‘鈴のような’ 美声もタップリ聴かせます。
作者のガブリエール・ルイス(Gabriel Ruiz)は1912年メキシコの「グワダラハーラ市」生まれで、1940年に初演されたこの曲よりも、同時期に作られた【恋人よお寝み:Buenas Noches Mi Amor】の方がむしろポピュラーになりました。しかし何と言っても彼の名声を不動にしたのは、1951年に《ロス・トレス・ディアマンテス》が歌ってウルトラヒットした【あなた:Usted】と【状況:Condición】両曲のお陰だといわれています。
4. 【罰当たり:Pecador】「ボレーロ」
本第5集アルバムの解説で、「我々日本のラテン音楽ファンにとって馴染みのない曲が2曲ほど入っている」と述べましたが、【罰当たり】はそのうちの1曲です。この曲の作者ウンべルト・ロドリーゲス・シルバ(Humberto Rodríguez Silva)は1908年キューバの「グワンターナモ(Guantánamo)」に生まれ、法曹界を経て1930年に作曲の世界に足を踏み入れたという異色の経歴の持ち主です。キューバ以外ではあまり知られていないこの古いボレーロ【罰当たり】が、「懐メロ特集」に入るほどのヒット曲かどうかは確信がありません。唯一、ティト・ロドリーゲス(Tito Rodríguez)が1962年にオーケストラの伴奏で歌っているのがU-TUBEで聴くことができます。ただ、キューバに度々巡業しているフリートがどこかでこの曲を聴き、気に入った可能性は十分考えられます。この曲にもバンドネオーンが入り、懐かしいハバーナの雰囲気を出しているのが聴きどころです。
Me dicen tantas cosas de tu amor.
Me dicen que abandone tu cariño.
Que debo de alejarme de tu lado.
Que olvide las promesas que juré.
人は君の愛について色々言う
人は僕が君を捨てたと言う
君から離れるに違いないと言う
君との約束を忘れるだろうと言う
Si amarte es un pecado,
quiero ser pecador.
Si amarte es sacrilegio,
sacrílego soy.
Guarda tus besos para mí
para mí solamente.
Quiéreme siempre, como hasta hoy
me has querido.
君を愛することで罰を受けるなら
僕は罰当たりになろう
君を愛することが 罰当たりなら
僕は罰当たりだ
君の口づけは
僕とだけにしてくれ
今までのように
僕だけを愛してくれ
Si sólo tu cariño
me haces sentir feliz.
Y estar siempre a tu lado
es toda mi ansiedad
君の愛情だけが
僕を幸せにしてくれる
君がいつも側にいてくれるのが
僕の切なる願いだ
No olvido la pasión
de tu boca amorosa
Que dulce es el pecado
que nace de tu amor.
君の愛のこもった
口づけが忘れられない
君への愛故に受ける罰は
なんて甘味なことか
5. 【巡礼娘:ぺレグリーナ:Peregrina】「カンシオーン・クラーべ(Canción Clave)」
私は《ロス・パンチョス》にハマった後、《ロス・トレス・ディアマンテス》《トリオ・カラべーラス(Trío Calaveras)》《トリオ・タリアクーリ(Trío Tariacuri)》などメキシコを中心にトリオを次々に聴きまくりました。そんななか、メキシコにはボレーロ以外にマリアッチなどが演奏するランチェーラやカンシオーンなど、多くの伝統的な歌謡があることを知ります。その代表格が【ラ・マラゲーニァ:La Malagueña】や【シエリト・リンド:Cielito Lindo】だったわけです。なかでも私の心を強く打ったのが、この【巡礼娘】でした。そこで、この曲を聴き漁っていると、1950年頃のメキシコ歌謡界で、名のあるトリオ/歌手/グループのほとんどは、この曲をレパートリーに入れていることが分かりました。それほどポピュラーだったわけです。しかし、それ以降メキシコの《ロス・パンチョス》、《ロス・トレス・ディアマンテス》、《ロス・トレス・アセス》、カリブでも著名なトリオのほとんどがこの曲をレコーディングしていません。ただし、メキシコでは《トリオ・モンテーホ(Trío Montejo)》《ロス・テコローテス(Los Tecolotes)=ロス・トレス・カバリェーロス(Los Tres Caballeros)》《トリオ・デルフィネス(Trío Delfines》など「ユカタン歌謡」を得意とするトリオは、レパートリーに入れているようです。
フリートがこの「懐メロ」アルバムで採り上げたのは、余程歌ってみたかったからでしょう。そのせいか伴奏のギターは控えめに、3人のハーモ二ーに重点を置き、フリートも情感タップリに歌い上げています。曲のジャンルは通常「カンシオーン」に分類されていますが、このアルバムでは「カンシオーン・クラーべ」と表示されています。これもフリートの意向でしょう。実際に、曲中「拍子木:クラーべス(Claves)」の音が終始聞こえてきます。
この曲の作曲家リカールド・パルメリーン(Ricardo Palmerín)は1887年生まれの「ユカテカ(Yucateca:ユカタン人)」です。ですからこの曲は「ユカタン歌謡」と言っても差し支えないでしょう。ただ特筆すべきは、1924年に発表されたこの【ぺレグリーナ:巡礼娘】が大ヒットした一つの要因が、ルイス・ロサード・べガ(Luis Rosado Vega)の素晴らしい歌詞にあったということです。このあたりの興味あるエピソードは 「Google⇒Ricardo Palmerín 」で検索できますのでご確認ください。
6. 【緑の瞳:グリーン・アイズ:Aquellos Ojos Verdes】「ボレーロ」
この曲も《ロス・パンチョス》で初めて聴きました。ただ、そのとき同じアルバムに入っていた【べーサメ・ムーチョ】や【唯一度だけ】などのほかのボレーロ曲とはなんとなく違う感じがしたのを覚えています。この感覚はそのLPで【キエーレメ・ムーチョ】を聴いたときにもありました。それもそのはず、両方ともメキシコの曲ではなくトロピカル感溢れるキューバ音楽だったからです。
この曲の作曲者は二ロ・メネーンデス・バルネー(Nilo Menéndez Barnet)、作詞は歌手としても人気のあったアドールフォ・ぺレス・デ・ウトレーラ・イ・フェルナーンデス(Adolfo Pérez de Utrera y Fernández)、通称アドールフォ・ウトレーラです。この二人はほぼ同年齢で、それぞれ1902年と1901年生まれです。二人は大の親友で、もう一人の友人を加えてトリオを組んだこともありました。この【緑の瞳】誕生にはロマンティックなエピソードがあります。簡単に紹介しますと、1929年のある夜、メネーンデスは二ューヨークでたまたま会ったウトレーラの妹コンチータ・ウトレーラ(Conchita Utrera)に一目惚れしました。その夜メネーンデスの頭に浮かんだのが、【グリーン・アイズ】のメロディーだったというわけです。彼は即座に、親友で彼女の兄でもあるアドールフォ・ウトレーラに作詞を頼みました。そして出来上がったのがこの曲です。次に紹介するバースの歌詞が、まさにそのロマンスを物語っています。
♪Fueron tus ojos los que me dieron el tema dulce de mi canción, tus ojos verdes, claros serenos, ojos que han sido mi inspiración….君のその澄んだ美しい瞳が、僕にこの甘い歌を作らせた…♪
1929年の誕生エピソードを知らなくとも、今だに多くの人々から愛されているこの曲の魅力は、このロマンティックなバースの歌詞にあると思います。《ロス・パンチョス》のように、ファーストボイスのショウ・モレーノが、しっかりとバースの部分からボレーロで歌い出すのは当然としても、残念ながらバースを飛ばして、いきなりサビの ♪Aquellos ojos verdes…♪ から歌い出す歌手やグループが多くいます。彼らは歌の内容をあまり理解していない、と思わざるを得ません。この点マエストロ・ロドリーゲスは原曲を良く理解していて、バースはリズムに乗せずソロでしっかりと歌いあげ、やがてコーラスに合流するというアレンジをしています。曲全体もバンドネオーンを効果的に使い、典型的なロドリーゲス・ボレーロのテンポに乗せてしっとりと仕上げています。くどいようですが、このあたりも《ロス・パンチョス》の名演を意識しているような気がします。
7. 【唯一度だけ:ソラメーンテ・ウナ・べス:Solamente Una Vez】「ボレーロ」
1900年生まれの大作曲アグスティーン・ララについては、今更解説の必要がないと思います。その昔、ラテン音楽評論家の大御所、故高橋忠雄先生がラジオの番組で、「アグスティーン・ララはメキシコのアービング・バーリン(Irving Berlin)と言われています」とコメントしていました。アービング・バーリンといえば、後存じのとおり1888年生まれのアメリカの大作曲家で、MLBの試合で歌われる【ゴッド・ブレス・アメリカ:God Bless America】やハリウッドの映画音楽【ホワイト・クリスマス】の作曲者として有名です。生涯作品数はアグスティーン・ララが約500曲、アービング・バーリンが約3000曲といわれていますので、ラテン音楽界の雄といえども、世界最大のエンターテイメントのマーケットをバックに持つ音楽家と同列にするのは無理があります。まあ、高橋先生のお言葉は「アグスティーン・ララに敬意を表したもの」と理解しておきましよう。ところで、プエルト・リコにもアービング・バーリンと呼ばれてもおかしくないラテン音楽界の重鎮がいます。ほかならぬドン・ラファエール・エルナーンデスです。彼が1932年から12年間の長きに亘りメキシコに住んでいたことは良く知られています。その頃の興味あるエピソードとして、ある時期彼とララがあることで人気を二分していたという事実が『カリブのラテントリオ』(73頁)の記述にあります。要約しますと、エルナーンデスがメキシコに定住したのは、メキシコで成功していたプエルト・リコ人の実業家の招聘がきっかけでした。その実業家はオスカール・アンへル・ビリャファー二ェ・シントローン(Oscar Angel Villafañe Cintrón)といって、製薬会社「ピコット製薬(Laboratorio Picot)」のオーナー社長でした。マエストロ・エルナーンデスは、そのピコット製薬がメキシコのラジオ局『XEW』で提供していた音楽番組のパーソナリティとして呼ばれたというわけです。その頃偶然にアグスティーン・ララも同じ『XEW』曲で同じような音楽番組「くつろぎの時間(La Hora Intima)」を持っていました。アグスティーン・ララとラファエール・エルナーンデスが「同時期に同じ局で同じような音楽番組を担当していた」という話は、ラテン音楽ファンにとってはなんとも夢をかきたてる話です。
8. 【3隻の帆船:Las Tres Carabelas】「グワヒーラ」
この第5集アルバムのコンセプトについて、マエストロ・シャローンが「それまでと違って、インターナショナルなアルバムだ」と述べたことを、本第5集アルバムの解説で紹介しました。ただし、それはカリブの世界を中心にした国際性の意味と解釈しましたが、この【3隻の帆船】に限り、まさしくカリブどころかラテンアメリカ以外の国の曲で、これと第3集の【帰れソレントへ】の2曲だけがラテンアメリカ生まれではありません。【帰れソレントへ】が選ばれた理由についての推測は既述しました。ではなぜ【3隻の帆船】が最後のアルバムに入っているか、です。答えは『カリブのラテントリオ』(175頁)をご参照くだされば分かります。つまり、フリート・ロドリーゲスが《ロス・パンチョス》を退団する直前の1956年のスぺイン巡業に際し、この曲を、作者アウグースト・アルゲロー・ダスカ(Augusto Algueró Dasca)本人が指揮するオーケストラの伴奏で、レコーディングをしているという事実です。恐らく、当時フリートはアルゲローとなんらかの交流があり、この曲が印象に残っていたのではないでしょうか。「バルセローナ(Varcelona)」生まれのアウグースト・アルゲローは1934年生まれといいますから、この《ロス・パンチョス》との共演の時はまだ22歳の若者だったことになります。しかもフリートが《ロス・パンチョス》を辞めた後、本アルバムシリーズをレコーディングするまで、それほどの年月は経っていません。ですから、このアルバム作製当時はまだ「懐メロ」ではないでしょう。にも拘わらずこの「懐メロ特集」に入っているのは、若き才能溢れるスペインの音楽家アルゲローと、彼の作曲したこの歌に対するフリートの深い想いが反映されているからだと思います。それが演奏にはっきり出ていますので、後段で述べます。作者のアウグースト・アルゲローは、スぺインでは著名な音楽家/作曲家で、ボレーロ以外でもクラシック音楽やポップスの分野で活躍しています。特に1960年代のスぺイン出身の世界的アイドル歌手ホセリート(Joselito)、マリソル(Marisol)、モナ・べル(Monna Bell)、ロシーオ・ドゥールカル(Rocío Dúrcal)らのヒット曲を多数作曲しています。
さて【3隻の帆船】です。この曲は、イタリア人といわれる通称コロンブス、スぺイン名クリストバール・コローン(Cristobal Colón)が、スぺイン統一を成し遂げた女王イサーベルⅠ世から3隻の帆船を貸し与えられ、勇躍インドへの新航路開拓の航海に出たときのことをテーマにした、ラテン歌謡にしては異色な歌です。このとき女王から与えられた3隻の帆船の船名が、「ラ・ピンタ(La Pinta:いたずらっ子」)「ラ・二ー二ャ(La Niña:少女)」「ラ・サンタ・マリーア(La Santa María:聖母マリア)」で、1492年8月3日にスぺイン南部の「アンダルーシア(Andalucia)」地方の港町「ウエルバ(Huelva)」にある「パロス港(Los Palos de La Frontera)」から出帆しました。曲の出だしの歌詞で主人公は、 ‘ある船乗り’ となっていますが、明らかにコロンブスのことを指しているのでしょう。問題はその後の歌詞です。トリオは ♪「アンティーリャーナ(Antillana:アンティル諸島)」を目指して♪と歌っています。しかし、フリート《ロス・パンチョス》も含めて、ほとんどの歌手は ♪キューバを目指して♪と歌っており、このトリオの歌詞の方が珍しいのです。ではどちらが原曲に忠実なのでしょうか? 良く考えてみれば、コロンブスが目指した先はアンティル諸島でもなければキューバでもなく、インドだったはずで、結果的に到達したのがアンティル諸島であり、キューバであった、というのが歴史的な事実です。そう考えると、これは歌謡のロマンティックな表現として捉えた方が良いのかも知れません。前述のとおり、フリート《ロス・パンチョス》のレコーディングオーケストラの指揮は、作者アルゲロー自身が行っています。しかし、フリートが勝手に知人の曲の歌詞を変えるでしょうか? 考えにくい話です。
ここで、スペインの名曲【3隻の帆船】とは直接関係ない話をさせていただきます。イサーベル女王から貸し与えられた3隻の船団の旗艦「サンタ・マリーア号」に乗り、コロンブスがカリブ諸島⇒アメリカ大陸に到達したことにより、その後の世界史が大きく変わりました。それによってもたらされた莫大な富のおかげで、スペインが一気に大国となり、ヨーロッパの歴史に華々しく登場したからです。唐突ですが、このときのコロンブスの行為は、「アポロ11号」に乗り、人類初の月面着陸に成功したアームストロング船長のそれに比べ、はるかに勇気のいることだった、という知識人も結構います。その一方で、征服されたカリブ諸島の先住民の悲惨な結末、すなわちコロンブスが現れた15世紀末には、一説によるとカリブ全域で百万人近く住んでいた、といわれる先住民が絶滅した歴史的事実が、世界史でも長らくスポットをあてられることはありませでした。しかし近年、その ‘英雄’ コロンブスの行為と、功績に対する評価が変わりつつあります。すなわち、コロンブスは征服者にして虐殺者、‘新世界発見’ ではなく‘新世界征服’ などなど、私たちが学校で学んだこととは違う意見が説得力を持ち始めました。実際、今日のラテンアメリカ社会では、先住民のことを指す「インディオ(Indio)」という言葉は差別語とされ、禁句になっています。代わりに、 「インディーへナ(Indigena)」という表現が普通です。
閑話休題。最後に、この曲に対するフリート・ロドリーゲスの ‘想い入れ’ です。その部分は後半の ‘掛け合い二重唱’、つまり音楽用語でいう「対位法(コントラプント)」を使っているところに表れています。この掛け合い二重唱については、『カリブのラテントリオ』第1章「20世紀の幕開け」(15頁)で著者のオルティース氏が紹介しているように、声楽では二重唱=デュエットに使われる手法です。ここでは、ファーストボイス=フリート・ロドリーゲスと、ほかの二人組み、タティーン・バレ/ラファエール・シャローンとの ‘掛け合い二重唱’ になっています。しかもそれは、キューバのモイセース・シモンス作の古典的物売り曲「プレゴーン(Pregón)」の【南京豆売り:El Manisero】のメロディーに乗せて結構長く続き、最後には南京豆売りの威勢の良い売り声まで入り、エンディングを迎えます。恐らくシリーズ最後のアルバムの中でも、フリートが一番時間をかけてアレンジに工夫をこらした曲ではないでしょうか。ちなみに、この掛け合い二重唱の部分はこのトリオの完全なるオリジナルで、ほかのどのグループも採用していません。以上が、いかにフリートがこの【3隻の帆船】に対して深い想いを抱いていたかの証です。
Un navegante atrevido
salió de Palos un día.
Iba con tres carabelas,
La Pinta, La Niña
y La Santa María.
ある日
ある向こう見ずな船乗りが
3隻の帆船と共にパロス港を出ました
船名はラ・ピンタ、ラ・二ー二ャ
そして、ラ・サンタ・マリーア号です
Hasta la tierra Antillana con toda su valentía
fué con las tres carabelas,
La Pinta, La Niña y La Santa María.
彼はアンティル諸島を目指して
その3隻の帆船と共に
勇敢に航海を続けました
Mira tú que cosas pasan
que muchos años después
hasta la tierra Antillana
encontrado mi querer.
ところで僕は
それからずっと後になって
恋人を求めて遥々アンティル諸島まで
行くことになります
Viva audaz navegante.
que viva la patria mía.
Vivan las tres carabelas
La Pinta, La Niña y La Santa María.
我が祖国を奮い立たせる
大胆な船乗り万歳!
3隻の帆船ラ・ピンタ、ラ・二ー二ャ
ラ・サンタ・マリーア号万歳!
(掛け合い二重唱)
♪Amada prenda querida♪
(デュエット=バレ/シャローン)
♪La Pinta ♪
♪愛する君よ♪
♪ラ・ピンタ♪
♪no puedo vivir sin verte
porque me sigo quererte♪
(デュエット=バレ/シャローン)
♪La Niña y La Santa María♪
♪君を愛し続けるからには
君がいなければ生きられない♪
♪ラ・二ー二ャ・ラ・サンタ・マリーア♪
♪y amarte toda la vida♪
(デュエット=バレ/シャローン)
♪Maní.. ..♪
♪一生君を愛し続けるよ♪
♪南京豆だよ!・・・♪
Esta noche no te acuestes a dormir
sin comerte un cucurucho de maní.
今夜は寝る前に
南京豆を食べさせてあげるよ
♪el maní, ay! de mani, el maní ♪
♪南京豆!南京豆!南京豆だよ!♪
♪Esta noche no te acuestes a dormir♪
♪sin comerte un cucurucho♪
♪今夜は寝る前に♪
♪南京豆を食べさせてあげるよ♪
De maní.. ..
南京豆だよ!・・・
9. 【恋に生きて:Amar Y Vivir】「ボレーロ」
この曲の作者コンスエーロ・べラースケス(Consuelo Velásquez)は、かつてある音楽祭で「20世紀の歌」にも選ばれたことのある、かの【べーサメ・ムーチョ】の作曲者として世界中にその名を知られています。確かに【べーサメ・ムーチョ】はアメリカをはじめ世界中で大ヒットしました。しかしべラースケスのヒット曲はほかにもたくさんあります。その中でも【可愛い宝物:カチート:Cachito】やこの【恋に生きて】は、【べーサメ・ムーチョ】に負けず劣らずのヒット曲です。ただ日本に於いては【べーサメ・ムーチョ】の2年後に発表された【恋に生きて】は【べーサメ・ムーチョ】ほどポピュラーになりませんでした。コンスエーロ・べラースケスは元々クラシック音楽畑出身のピア二ストでしたが、1941年彼女が21歳のときに書いた【べーサメ・ムーチョ】の大ヒットにより作曲家としての道を歩み始めています。彼女の音楽家としての素晴らしい才能と、美貌もさることながら、『カリブのラテントリオ』にも度々登場し、本ホームメぺージの第2章(Ⅴ)二つのミラクルbの最後にも記述されている、「メキシコRCAビクター社」の名プロデューサー、マリアーノ・リべーラ氏の夫人としても、つとに有名です。この曲はべラースケスが【べーサメ・ムーチョ】の2年後に作った作品であることは既に述べました。この2年という年月の間に、彼女がボレーロ作家として格段の成長を遂げていることが歌詞に表れています。それは【べーサメ・ムーチョ】に比べ、歌詞の内容が深く、韻も踏んでいるからです。トリオは、いつものフリート・ボレーロのように、ゆったりとしたテンポで、情感を込めてこのロマンティックなボレーロを歌っています。さらにフリートは、この曲で初めて本格的にエコー効果を採り入れ、バンドネオーンとピアノに加えビブラフォーンも投入しました。その結果トリオは、女性作曲家特有の甘く優しい曲想を盛り上げることに見事に成功しています。
Por qué no han de saber
que te amo, vida mía,
por qué no han de decirlo
si fundes tu alma con el alma mía.
私がどんなに貴方を愛しているか
何故か皆さん知りたがらないようね
貴方の心と私の心が一つなのも
何故か皆さん言いたがらないようね
Qué importa si después
me ven llorando un día,
si acaso me preguntan
diré que te quiero mucho todavía
ある日私が泣いているところを
見た皆さんに理由を尋ねられたら
まだ貴方を深く愛しているからと
言ってやるわ
Se vive solamente una vez,
hay que aprender a querer y a vivir,
hay que saber que la vida
se aleja y nos deja llorando quimeras
人生は一度しかないから
愛することも生きることも大切よ
命ははかなく、妄想にとりつかれ
泣き崩れることもあるわ
No quiero arrepentirme después
de lo que pudo haber sido y no fue,
quiero gozar esta vida teniéndote
cerca de mi hasta que muera.
だから後になって
後悔のないように
死ぬまで貴方に寄り添い
この世を楽しみたいのよ
10. 【銀色の月:Luna De Plata】「カンシオーン・クラーべ」
この「カリブ世界の超ポピュラーな曲を集めたアルバム」の中で、4曲目の【罪人】と同じく「我々日本のラテン音楽ファンにとって馴染みのない曲」です。この曲のジャンルは、本アルバム5曲目【ぺレグリーナ】と同じく「カンシオーン・クラーべ」と表示されています。フリート・ロドリーゲスは、この曲にもクラーべスを使ってクラシックな感じを出していますが、【ぺレグリーナ】と、この【銀色の月】のジャンル表示にあえて「カンシオーン・クラーべ」と謳ったのは、「カンシオーン」というタイトルがラテン歌謡のジャンルとして幅広く使われているからでしょう。あえていうならば、彼の「カンシオーン・クラーべ」は、「アバネーラ」に近いと思います。この曲の作者マリオ・アルバレス・ヒメーネス(Mario Alvarez Jiménez)は、1898年生まれのキューバ出身の音楽家です。1936年に高名な《エルネスト・レクオーナ楽団(Orquesta Ernesto Lecuona)》のピア二ストとしてメキシコに渡り、そのままメキシコに永住しました。彼はそこで、この【銀色の月】も含め、多くの作品を残しています。彼がキューバを離れた動機は定かではありません。彼の生まれた1898年は、米西戦争でスぺインがアメリカ合衆国に敗れた年です。その結果スぺインのカリブ海諸島からの撤退と同時に合衆国の支配が始まり、カリブ諸国に強烈なインパクトを与えることになりました。特にプエルト・リコでは社会情勢が一変し、音楽も多大な影響を受けています。このあたりのことは、第1章(Ⅱ)のBカリブ海の島国と、『カリブのラテントリオ』(13頁)「Ⅰ. 20世紀の幕開け」及び「Ⅷ. 大戦による思想変革とトリオ」(89頁)にも記述されていますので、ご興味のある方は参考にしてください。その点キューバはプエルト・リコと異なり、スぺイン撤退のおかげで独立を勝ち取ることができました。しかしそれでも、アングロ・サクソン文化の侵入を嫌って国を離れたキューバの文化人がいても不思議ではなく、マリオ・アルバレスもその一人だったのかもしれません。
Cuando se ven las gaviotas
a la orilla de mi mar.
Y las olas traviesas visten
de cáñamo ir junto
al viejo palmar.
鴎の一群が
水平線に向かって飛んで行く
さざめく波が麻布を織るように
椰子の古木のもとに
打ち寄せる
Sueño con tu amor de ayer.
Quizás ya no te acuerdes de mi amor.
Tal vez no te preocupe mi dolor.
Bien puede ser que una vez
me tengas en tu pensamiento,
y que te puedas hacer tú la causa
de mi sufrimiento.
今、君との昔の恋の夢を見ている
君はもうそれを忘れているだろう
僕の悩みも気にしていないだろう
もう一度君が僕のことを想って
僕の苦悩のみなもとが
君にあると
分かってくれるだろうか
Yo sé que nunca te olvidar
que tú no me podrás abandonar
僕が君を忘れたり
君が僕を捨てるなんて
Es imposible pensar
que puedas dejar mi querer
que nació con tus besos de ayer.
あのときの口づけから生まれた
僕の愛を君が捨てるなんて
思いもつかない
11. 【我が懐かしのサン・ホワーン:En Mi Viejo San Juan】「ボレーロ」
今、私の前に1枚のLP『Borinquen DG-1054』があります。アルバムのタイトルは「我が懐かしのサン・ホワーン:En Mi Viejo San Juan」で、サブタイトルは「ノエール・エストラーダ(Noel Estrada)、ノエール・エストラーダを歌う」となっています。そのジャケットの前面には、ギターを抱えた本人とおぼしきスーツ姿の中年男性が、城壁の縁に座っています。しかし、この LPを購入したのが、いつどこで、日本だったか、海外だったかを覚えていません。恐らく、それは私がまだプエルト・リコ音楽にハマる以前、国内外でラテン音楽のレコードを買い漁っていた頃のことだろうと思います。幸運にも、こんな貴重なレコードが手元に残っていた、ということなのです。
アルバムの内容ですが、ライブ録音の形をとっています。ただ、拍手は入っているものの、観客の声も咳払いも聞こえず、本当にライブ演奏だったのかどうかは不明です。ともあれ、彼は自分の新旧作品を10曲、ピアノとパーカッションをバックに、しみじみと歌っています。ハイバリトンのなかなかの美声です。彼は元々ギターとピアノが得意でしたが、本格的なプロの演奏家として際立った実績は残していません。ともあれ、このアルバムの ‘目玉’ はタイトルどおり、エストラーダによる【我が懐かしのサン・ホワーン】の自作自演です。彼は冒頭で、この曲を作った経緯と、プエルト・リコに対する想いを語っています。抜粋すると、❝第二次世界大戦の真ただ中の1943年8月、遠く離れた海外(註:パナマー)で戦っている私の弟から1通の手紙が届きました。
その中身は、「故郷に残してきた両親、妻たち、子供たちを思いながら共に戦っているボリンカーノ(プエルト・リコ人)の仲間たちのために、彼らを慰めるような歌を作ってもらえないだろうか?」 というものでした。その願いを受けた直後のある土曜日の朝、我が古き良きサン・ホワーンの街を眺めていたとき、私の頭の中に一つのメロディーが浮かび、続いて歌詞もできました。そしてこの曲を【我が懐かしのサン・ホワーン】と名付けたのです。本日は、その1943年のそのときを思い出しながら、そのときと同じ気持ちでこの曲を歌います❞ と述べています。このアルバムのレコーディング日時は例によって記されていませんが、察するところ1960年代ではないかと思います。彼は1918年生まれですから、このとき40代だったはずです。
ノエール・エストラーダ・スワーレス(Suárez)は、1940年に初めて作曲した「愛国/ふるさと歌謡」【ヒバリートの恋:El Amor Del Jibarito】の大ヒットにより、プエルト・リコの愛国/ふるさと歌謡のアイドルとして、カリブ海周辺諸国で広く知られるようになりました。続いて1943年に発表したこの曲【我が懐かしのサン・ホワーン】は彼の名声を決定づけることになり、以後作曲したボレーロも含めた10数曲はいずれもヒットしています。しかし彼は音楽活動には専念せず、役人などの仕事をしながら61歳の生涯を終えました。晩年腎臓病に苦しみ、長い闘病生活を強いられることとなりましたが、その間、彼が25歳のときに同胞の戦士たちのために作曲したこの望郷の歌【我が懐かしのサン・ホワーン】は、幾度となく彼の胸に去来したことでしょう。
《フリート・ロドリーゲス・トリオ(A)》はピアノもバンドネオーンも入れず、アレンジもあまり加えず、ノエール・エストラーダに敬意を表するかのように、この名曲を情感を込めながらも、淡々と歌っています。
En mi viejo San Juan,
cuantos sueños forjé
en mis noches de infancia.
Mi primera ilusión y mis cuitas de amor
son recuerdos del alma.
私は子供時代
我が懐かしのサン・ホワーンで
夢を育んできました
恋の悩みや初めての夢など
思い出がいっぱいです
Una tarde partí hacia extraña nación
pues lo quiso el destino,
pero mi corazón se quedó frente al mar.
en mi viejo San Juan.
ある日私は時の流れに従い
見知らぬ国に旅立ちました
しかし私の心は我が懐かしの
サン・ホワーンの浜に残したままです
Adiós, adiós, adiós, Borinquen querida,
Tierra de mi amor.
Adiós, adiós, adiós, mi diosa del mar.
Mi reina del palmar.
さようなら愛しのボリーンケン
我が心の故郷
さようなら海の女神
椰子の木に宿る女神よさようなら
Me voy, ya me voy,
pero un día volveré a buscar mi querer,
a soñar otra vez en mi viejo San Juan.
でもいつかはまた我が懐かしの
サン・ホワーンに戻り
夢を見たり恋人を探します
Pero el tiempo pasó y el destino burló
mi terrible nostalgia.
Y no pude volver al San Juan que yo amé,
pedacito de patria.
しかし時が経ち気がつけば
私の強い望郷の念は運命に弄ばれ
とうとう我が祖国、我が愛する
サン・ホワーンには戻れませんでした
Mi cabello blanqueó y mi vida se va,
ya la muerte me llama,
y no quiero morir, alejado de ti,
Puerto Rico del alma.
髪も白くなり、寿命は尽きようとしています
今はただ死を待つだけ
でも愛するプエルト・リコよ
君から離れて死にたくない!
12. 【三つの言葉:Tres Palabras】「ボレーロ」
いよいよ本5枚組アルバムシリーズ最後の曲になりました。フリート・ロドリーゲス、あるいはプロデューサーのエルマーン・グラース氏が、なぜこの曲を最後に持ってきたのか、その意図は分かりません。が、想像はつきます。一つには前の曲の、しっとりとした、どちらかとかといえば地味な感じの【我が懐かしのサン・ホワーン】とのコントラストを意識をした可能性があります。実際にフリートは、この曲ではバンドネオーンをイントロと間奏に入れ、華やかなフィナーレ曲として演出して見せました。それでも、この《フリート・ロドリーゲス・トリオ(A)》の演奏は独特のリズムを打ちながら、プエルト・リコのトリオらしい雰囲気を十分に醸し出しています。この曲がラストナンバーに選ばれた理由は、ほかにも考えられます。それは、アルバムシリーズ最後の2曲【我が懐かしのサン・ホワーン】【三つの言葉】は、どちらも「国際的歌謡」と呼ぶにふさわしい曲ですが、後者の方が前者に比べ、はるかに「国際的な曲」だからではないでしょうか。例えば【三つの言葉】の曲名は英語で【貴方なしでは:Without You】と名付けられ、ウォルト・ディズ二ーのアニメ映画のテーマ曲にもなりました。ほかにも、この曲はマントバー二ー(Mantovani)やヘンリー・マンシー二(Henry Mancini)といった世界的に有名なポピュラー音楽の作曲家/指揮者によってもカバーされています。
この曲を作った1902年生まれのキューバ人作曲家オスバールド・ファレース(Osvaldo Farrés)は遅咲きの作曲家で、作曲を始めたのは35歳になってからといわれています。しかし、それ以降【もっと近くにいて:Acércate Más】【絶対ダメよ:No, No Y No】【命をかけて:Toda Mi Vida】【キサース・キサース・キサース】など、たて続けにヒット曲を飛ばし、ラテンアメリカはもとより米国の大物歌手にカバーされたり、ハリウッド映画にも使われるようになりました。余談ですが、これほどの大作曲家にしてアグスティーン・ララやぺドロ・フローレスなどと同様、譜面がほとんど読めなかったようです。まさに ‘歌謡は心の歌’ であることを証明しています。
【三つの言葉】はファーレスが45歳の時、あるメキシコの女性歌手のアドバイスから生まれたといわれています。1960年から70年代にかけての日本のラテン音楽ファンは、この曲が、あの【キサース・キサース・キサース】と同じ作者の作品であるというよりも、マエストロ見砂直照率いる《東京キューバン・ボーイズ》のオープ二ング/エンディング・テーマ曲としてお馴染みだったのではないでしょうか。ちなみにキューバではその昔、《キューバン・ボーイズ》という名の世界的に有名なフルバンドが二つありました。世界的に有名な《レクオーナ・キューバン・ボーイズ(Lecuona Cuban Boys)》と、そこで長らくピア二スト兼バンドリーダーを務めていたアルマンド・オレーフィチェ(Armando Oréfiche)が新たに結成した《ハバーナ・キューバン・ボーイズ(Havana Cuban Boys)》です。前者についてはいうまでもなく、もはやキューバの伝説的なルンバ・バンドとして、ラテン音楽愛好家なら知らぬ人はいないほどのビッグネームです。後者は日本ではそれほどポピュラーではありませんが、演奏スタイルは《レクオーナ・キューバン・ボーイズ》と異なり、かなりショーアップされ、トロピカル音楽の楽しさを堪能させてくれました。1970年代には日本でも公演を行っていますので、その片鱗に接した方も大勢居られるのではないでしょうか。見砂先生の《東京キューバン・ボーイズ》は、《レクオーナ・キューバン・ボーイズ》を意識しながら独特のサウンドを作り上げ、日本のラテン音楽界史に燦然と輝いています。
Oye la confesión
de mi secreto
nace de un corazón
que está desierto.
どうかわたしの秘密を
聞いて頂戴
わたしの渇いた心に湧いた
秘密の告白なの
Con tres palabras
te diré todas mis cosas,
cosas del corazón
que son preciosas.
それは三つの言葉
貴方に捧げるわたしの総てよ
取って置きの
心からの言葉よ
Dame tus manos. ven,
toma las mías,
que te voy a confiar
las ansias mías.
これからわたしの
胸の内を明かすから
さあ、わたしの手に
貴方の手を重ねて頂戴
Son tres palabras
solamente mis angustias
y esas palabras son;
¡como me gustas!
わたしが焦がれる
三つの言葉
それは
貴方が、とっても、好き!の三つの言葉